「前へならえ」

私はこの掛け声が大嫌いだった。
背が低い私は、物心のついた頃からずっと一番前。

先頭の人だけする腰に両手をあてるポーズ。
たくさんいるクラスの女の子の中で、自分だけがこのポーズをしているのが、嫌だった。後ろを見ると、私以外の子がする腕を伸ばすポーズがかっこよく思えて仕方がなかった。

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今にしたら、そんなことでと笑い飛ばせるけれど小学生の私には、重要で自分だけが違うことをさせられているというのが嫌だったのだ。
運動会や学年集会、全校朝会など、行事が多かった小学校時代。
毎日のように「前へならえ」をしていた。

多分学年でも一番小柄だった私は特に小学校低学年の時は苦労をした。
ランドセルを一人で背負えず、 行きの時は親に背負わせてもらい、帰りはランドセルを机に立てて置き、腕を通して背負うようにした。

靴箱の位置やロッカーの位置も高くて苦労した記憶がある。
同級生にふざけて抱っこされたりするのも笑ってはいたけれど、いやだった。

一番ショックだったのは小学校6年生の時に、母が連れていった小児科にて「成長ホルモンの注射を受けたら良いか?」と相談したところ、「もう手遅れ」と言われたこと。

この医師の言葉は、当時小学生の私には深く傷つき、母の何とも言えない表情も覚えている。

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「前へならえ」をしていた記憶は小学生までで、それ以降はした記憶がない。

小学校時代はかなり身長のことで悩んだが、中学生、高校生になり徐々に気にならなく成っていった。身長よりはお化粧やダイエットに夢中になった。

年齢が上がるにつれて、底が高い靴を履いたり、お団子をしてみたり、少しの工夫で身長が高くみえることに気付いた。

ヒールの高い靴を履ける喜びを知り、小柄なことがあまり気にならなくなってきた。

小さい頃は、「他の子と同じ」を目指していたけれど、段々と「他の子と違うこと」に対し、新鮮さを感じるようになっていった。

今の社会は多様性とか個性に対して、寛大になっている気がする。
小学生の息子に聞いたところ、息子の学校では今は「前へならえ」はやらないそうだ。

しかも基本背の順ではなく、誕生日順で並ばされることが多いらしい。

私が学校を卒業してから20年以上が経過し、色々なことが変わってきているのだと感慨深くなった。

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この年になって思うことは、小柄なため若く見られたりするので、小柄なことはけしてマイナスなことばかりでないということ。

そして大人になって思うことは周りはそんなに他の人に関心がないこと。
みな自分に夢中で、他人のことはそんなに見ていないし気にしていない。
気にしているのは自分だけで、周りは案外気付いていないことが多い。

多感な小学生や中学生時代だとそうもいかず、「◯◯ちゃんはここが違う」とか「ここがおかしい」とか言われるのかもしれないがそれもほんの一時期だと思う。

「あなたがお年寄りになった時、今悩んでいることは大したことのないこと」

本当にその通り。

変えられないことは意識を変える。
それだけで大分楽になる。

「前へならえ」を不機嫌にそうにやっていた少女時代の私に、「大丈夫、今だけだよ」と言ってあげたい。