「日本人の娘が外国人男と歩いとる!」夫と一緒にいて、何が悪い?
今となっては外国人が増えてきたけど、20年前は違った。もしかしたら、地域差はあったかもしれない。でも、今ほどの多様性はなかったように感じる。
20年前の私は、大学生だった。当時、日本の大学で外国語を専攻していた私は、1人の留学生と出会った。同じ大学で留学生コーディネーターをしていた私は、彼が日本のコンピューターに憧れて勉強しに来たことを知った。私は彼の話す言語を勉強していたから、自然と一緒に過ごす時間が増えていった。
婚約したのは、大学4年生の時。それまで結婚願望なんて全くなかったのに。なぜかこの人とずっと一緒にいたいと思った。彼も同じことを思っていた。縁って、ホント不思議なものだ。
私の親は反対した。年齢だけが理由じゃない。それでも、私は自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。だって、自分の人生だもん。自分で決めたことなら頑張れるって思ったし、自分自身を信じていたから。
私達は、凸凹カップルと言ってもいいだろう。性格も趣味も全然違う。見た目からしても、共通点がほとんどない。だから、良くいえば、他人から顔を覚えられやすい。悪くいえば、どこに行っても目立つ。
日本で道を歩いていたら、知らない人からいきなり、「日本人の若い娘が外国人男と歩いとる!」と大声で言われたことがある。夫と一緒に歩いて、何が悪いのか?
アメリカで小さな町を訪れたら、地元の人から夫が娘の誘拐犯だと勘違いされたこともある。たまたま、その場に私がいなかっただけなのに。おそらく、次女は私と顔が似ているからだろう。
どうして他人はこうなんだろう?って思った。だって、私達は好き同士で一緒にいるんだから。「違い」なんて、どうでもいい。むしろ、自分達が他人とは「違う」だなんて思ったことは一度もない。
私は「日本人」として生まれて、夫と出会うまでは、ずっと「日本人」として生きてきた。でも、夫と出会ってからは、人種の概念を捨てた。それだけのこと。
今年の夏、長女から「ママ、パパを選んでくれてありがとう!」と言われた。
私は、「どうして?」と聞いた。そしたら、「だって、パパを選んでくれなかったら、私は生まれてなかったもん!」って。
子どもは正直だな。
長女には、「子どものくせに、何を言ってるの?」と言ったけど、本心は違った。彼女は何気なく言ったかもしれないけど、私は嬉しかった。
この20年、色々なことがあった。良いことばかりでなく、嫌なこともたくさん経験した。
ふと我に返った。そしたら、自然と涙が出てきた。うまく表現できないけど、自分が認められたような気がしたから。その後はトイレに行って、思う存分1人で泣いた。人間だもん。誰にだって感情はある。
私自身は、昔から変わらない。「私は私のままでいたい」と思うから。20年の間に変わったことといえば、4児ママになったことぐらいだろう。むしろ、周囲や社会の方が変わったように感じる。
おそらく、20年後も私は変わらないはずだ。

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