朝が来るまで、あと2時間3分。

睡眠導入のアプリで瞑想してみたり、音楽を流してみたり、朗読を流してみたりと、眠る努力はしたけれど、一向に眠くはならなかった。明日は仕事だから、眠らないと、眠らないと。そう考える度、身体は動いていないのに動悸は激しくなり、(私は、眠るという誰もが当たり前にできる事さえできないのか)と無性に悲しくなって涙が溢れてくる。アラームが鳴るまであと2時間を切ってしまった。スマホの電源ボタンを触り、時間を確認するだけの作業を、この夜だけで何回繰り返しただろうか。

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所謂パワハラがきっかけでこんな夜が続き、気付けば適応障害と診断されていた。相手があんなふうにこちらを詰ってくるようになってしまった原因は私にもあると思っているし、病んでしまったのはパワハラだけが原因ではない。そこに至るまでに積み重なった歪んだ思考のクセや執着、怖れ、トラウマが根っこにあった。だから今となっては、自分の改めるべき所に気づき、自分と向き合うきっかけをくれたことに感謝をするようにしているが、何があったのか、何を言われたのか、という詳細は言いたくない。

しばらく通院しながら働き続けたが、職場の先輩がみかねて「職場と距離をとった方が良い、ひどくなる前に休もう」と声を掛けてくれた。通院している間の私の人生は、1日で例えると夜だった。
その頃はまだ退職代行なんて会社はなくて、病院にいって診断書をもらって会社に提出して休職した。1ヶ月休んだけれど、どうしても同じ職場に戻る勇気が出なくて退職を決めた。
お金がなくて、実家にも帰りづらかったからすぐに次の仕事を探した。生きていくためにはお金が必要だったというのもあるし、何かしていないと、この役立たずが生きている事への罪悪感で押しつぶされそうだった。

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しかし、その夜はただ真っ暗闇だった訳では無い。夜道を照らして人たちが側にいてくれたからだ。それは友人だったり、両親だったり、道端の猫だったりしたけど、一番大きかったのは彼の存在だ。

彼とは休職する1年前に出会って付き合い始め、つい最近結婚した。

私は彼に出会うまで、仕事を自分の自己肯定感の拠り所にしていた。一番分かりやすく人に感謝してもらえるからだ。他人に認めてもらうことで自分のことを認められた。「生きていて良いよ」と言って貰いたかった。

彼は私に「生まれてきてくれてありがとう」とか「出会えてよかった」なんて言わない。誕生日やクリスマスにプレゼントは用意しないし、自分から「好きだよ」とか「愛してる」なんて言わない。だけど、その分毎週のように色々な所へ連れて行ってくれるし、お互いの誕生日と記念日には2人でちょっと良いご飯屋さんを予約して、美味しいものを食べることにしている。誰かのために無理したり背伸びしたりしない彼の隣にいると、誰かに生きていることを許して貰いたくて仕事を頑張ることへの執着と、常に感じていた生きていることへの罪悪感が薄くなって息がしやすい。誰かに許してもらうために何かを頑張り過ぎてしまうことをやめようと思えた。そして身動きが取れなくなるくらい人の顔色を気にし過ぎることもやめようと思った。

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きっと彼の根底には「人は皆、孤独」という価値観がある。そしてその価値観は、色々な経験を経て歪んで思考を拗らせた私も、ひっそりとお守りのように持ち続けていた価値観だ。だからこそよく知っている。その価値観がどれだけの寂しさや虚しさや諦めを煮詰めて出来上がったのかを。きっと彼はここまで、色々我慢して生きてきたと思う。私よりも何倍も我慢して生きてきたと思う。それなのに彼は他人に寛容で、とてもフラットだ。

そんな彼は、私が朝が怖い時、それでも朝から逃げたく無いと言った時、側にいて何も言わずに助けてくれた。彼のお陰で朝がだんだん怖く無くなっていった。そうして少しずつ時が経ち、気づけば夜は明けていた。あの苦しかった時間に、私は感謝すると決めた。あのまま生きていたら、厭なおばあちゃんになっただろうな、と思う。

彼は、一緒に真っ暗な夜道を歩いてくれた。朝が来るまで何も言わずに人を支えることのできる彼のように、自分の意思で進めるようになるまで待ってくれた彼のように、私も人を信じることができたらいいな、と思っている。

そして、きっと、朝が憂鬱な時には、この夜のことを思い出すのだ。