エッセイを書くことによって、自分は確実に変わったと言える。過去に囚われることが少なくなったように思う。
そして自分はダメダメだと思っていたが、自分に自信を持てるようになった。

他のかがみすとのエッセイを読むことを通して、考えが広がったり深まったりする経験も得た。例えば仕事や恋愛に関して、似たような経験やもっと壮絶な経験をしてる人もたくさんいて、それと同時に同じ考えを持っている人がたくさんいることを知ることができた。

編集者の方には共感の言葉を添えたたくさんの感想をいただき、エッセイを書いてもなおモヤモヤした感情を言語化していただき、何度も救われた気持ちになった。

自分の考えを表明できる場があったのとないのでは、行き着く未来が全然違っていたように思う。卒業したかがみすとの方が、今もエッセイを書き続けていると読んだ。
私も自分の心の中を文字にしなければ、それは心の中にたまり続け、事あるごとに記憶を刺激し、感情を揺さぶる原因になると思う。
それはエッセイを書き始めてすぐに気づいていた。

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私が一番最初に書いたのは元彼についてのエッセイだった。
エッセイとして書き出すまでの私は、復縁したいわけでもないのに別れた後何年も何度も彼のことを思い出し、どうすればうまくいったのだろうと考え続けてきた。

彼の中で私は遠い昔に忘れ去られているのに、いつまでも彼の亡霊を追いかけているようで、辛かった。それをエッセイにすることで、本当に彼のことを思い出すことが少なくなり、なぜうまくいかなかったのだろうという思考に陥ることも減った。

辛いことは忘れ、いいことは思い出せるように整えておくためにも、エッセイという形で自分の感じたことを表現し続けなければいけないと思う。
エッセイを書き続ければ前向きに変わり続けられると期待を込めたい。

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社会を変えるなんて大きなことできるわけないと思っていた。自分が書いた文章を読んで少しでも共感してもらえたら社会を変えたことになるのではないかという考えに今では変わった。

または、自分が考えてることをエッセイという形でメッセージを外に出すことで、法律を変えたり、制度を変えたりといった大きく社会を変えることは難しかったかもしれないが、人々が考えるきっかけになるものを提供したということには貢献できたのではないだろうか。

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私がかがみすととして活動したこの4年間で、コロナ禍を経験し、仕事でいくつもの山をくぐり抜け、いくつもの恋をし、多くの人と関わることを通して自分の人生を見つめてきた。

私の自己肯定感の低さや、自己認知の歪みは少し矯正されたように感じる。
これまで書いた180タイトル以上のエッセイを通じて、私は私という存在に自信が持てるようになった。そんなにダメな人間ではないのではないかと思えるようになった。
他人から褒められることも多くなったし、その褒め言葉を素直に受け取れるようになった。
今ではなぜ前の自分があそこまで自己肯定感が低かったのか、不思議に思っているくらいだ。

私が変わらなかったことはあるのかと考えたときに、継続することだと思った。
エッセイを書き続けることもそうだし、途中で諦めることもやりたくない。
ここまで来ると私の信念であると言い切れる。

これからも書くことや言語化することを通じて、自分自身を自分の力で癒し、幸せにしたい。