13歳のとき、突然ひとりになった。

親の仕事の都合でアメリカに住むことが決まり、コミュ力が皆無に等しいわたしは途方に暮れていた。片田舎の中学校の教室のなかでは英語はできるほうだと思っていたけれど、現地じゃ全然役立たず。英検3級なんて意味ないじゃん、とひとり悪態をつくけれど、笑ってくれる人はいない。親の車に乗せられて学校に向かい、重たい身体を引きずって登校はするけれど、誰も言葉を交わせる人はいない。とにかく、めちゃくちゃに孤独だった。

昔から教室の隅っこでおえかきに勤しみ、それを見た人が話しかけてくれて友だちになる…という受動的友だちづくりしかしたことのない私にとっては苦行でしかない。英語でゼロから因数分解を教わる、という無理ゲーな授業を右から左へと聴き流し、だんまりを決めて過ごす日々のなかで、少しずつ、少しずつ、わたしのなかに溜まっていくものがあった。

言葉だ。

なんでわたしだけこんな目にあってんの?同級生のみんなは文化祭に合唱コンに青春してるのに、なんでわたしはこんなよくわかんない場所に閉じ込められてんの?知らない人になんか話しかけられるわけないじゃん。喋らない自分とごはん食べてくれる人もいるわけないじゃん。これがあと4年も続くってマジ?ねぇ日本に帰っちゃダメ?帰れないの?わたしの人生おわり?

1日中ぐるぐるぐるぐる日本語で日本のことを考えては、ボロボロに擦り切れたノートにめちゃくちゃに書き殴った。誰にも見せない紙面に降り積もる言葉たち。

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それを、「公開してみよう」と思ったのはなぜだろう。当時時間だけを持て余していたわたしが救いを求めたのはインターネットの海だった。学校が終わったら家に直帰し、玄関に飛び込むや否や、リビングにあるパソコンの電源ボタンを押す。ウィーンとゆっくり起動音がして、立ち上がるのを今か今かとじっと待つ。そこに広がるのは、誰にも邪魔されないわたしだけの世界だった。飛行機で何時間も飛ばなくちゃいけないような距離を超えて、いつでも日本と繋がれる、魔法のような世界。

最初は掲示板や他人のブログを眺めているだけだった。いつしか、自分の気持ちを吐露することを始めた。別に読んでくれる人がいたわけじゃない。それでも、「今日はこんなことがあってね」と友人に喋りかけるように、拙い日記を書くようになった。不思議なものでどこからやって来るのか、ある日読者は現れる。「こんにちは!同い年で気になってコメントしました。わたしも◯◯が好きです。よかったら仲良くしてください!」。そんな感じ。

それがどんなに嬉しかったことか。どんなに救われたことか。

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その一言にのせられて、あれから20年。わたしは未だに毎日の出来事をつらつらつらつら書いている。就活に全滅したときも、彼氏に振られたときも、仕事がなくなったときも、友だちと喧嘩したときも、全部全部吐き出してやった。友だちにも家族にも言えないこと。それは時に痛みを伴うことでもあったけれど、それ以上に得られるものが多かった。

知らない誰かに「わかる!」と共感してもらえること。「こういうときどうする?」と頼ってもらえること。「この言葉は宝物です」と大事にしてもらえること。「書いてくれてありがとう」と感謝されること。

わたしが書くことを通じて得たのは、なんだったのか。たぶん、もうひとつの新しい世界だ。どんなに現実が辛くても、ひとりぼっちだと思えても、勇気を出して言葉を紡いだ先にある世界は、いつだってあたたかい。そこには、わたしの言葉に共感してくれる人が集まっている。わたしの言葉を待っている人がいる。そんな景色が見られたのは、他でもない自分が言葉を綴るのをやめなかったからだ。ずっとずっと、自分を表明しつづけたからだ。

世界を変えるのは難しいけど、自分の世界は変えられる。あの頃、教室でひとり頭を垂れていた子どもは今、パソコンに向かってこのエッセイを綴っている。ひとり。でも、ひとりじゃない。