1年間の無職期間。「怠けてるだけじゃない?」もやもやはとげとげに
これまでのわたしは、心の中に漂う嫌な気持ちを「ま、いっか」で適当に流すのが最善だなと感じていた。
なぜなら、もやもやした気持ちを自分の中でぐるぐると煮詰めて考え続けたり、誰かに話したりすることで、今まで漂う霧だったものが輪郭を得てよりはっきりと具体的になってしまうから。言葉というかたちにすることで感情に重みがでてきて、わたしの心の中に居座り続ける。それが結果的に自分を苦しめるなら、感情を何かの単語に当てはめて言葉にしないほうがいい。
きっぱりNOと言わなければならない違和感は見過ごせないけれど、日常の些細なことは案外自分の気持ちに理由づけや言語化、具体化せずにいたほうが心地よくいれるのかも。すべてのもやもやはわたしが言わなければ、我慢すれば、それで済む話なのだ、と。
こういうふうに気持ちの霧を自分の森の中に封じ込めて、ずっとわたしはそういうふうに生きてきた。
徐々にその霧はわたしを蝕み始めて、元気という栄養を奪っていった。1年間、無職期間ができてしまったのだ。
その時期に会った人たちからはただ興味本位の、考えなしに口からすべり落ちた言葉をたくさん投げられた。
「お仕事されていないんですか?」
「将来なにか計画があるんですか?」
「ただ働きたくないからって怠けているだけじゃないんですか?」
どれも耳に入れるには刺激物すぎて、「こっちは嫌な気持ちを押し込めているのに、ずいぶん配慮のない言い方だな」と、わたしのもやもやの霧はいつもよりとげとげしい雨粒のスコールになっていた。
そんなときに、「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディア、「かがみよかがみ」に出会った。いろんな女性がもついろんな違和感を、本当に赤裸々に書いていた。
「そのもやもやわかる!」と激しく頷けるものがあったり、「えっ、そんなことがあるの……」と涙なしでは読めない話もあった。
それぞれが抱えるもやもやとした違和感を綴った人たちに励まされ、わたしも、今までかたちづくらなかった心の森に巣食う霧や雨粒も書いてみようかなと思った。
それからはじめてエッセイを書いて投稿し、それをZINEにまとめてエッセイ集も出してみた。
飾らないわたしをさらけ出すことは怖かったし、それを求めてくれる人はいるのだろうかと不安だった。
けれども、想像以上に多くの人に読んでいただいてサイト内のランキングにのったり、ZINEをたくさん買ってくれる人もいたりした。
「明日少しだけ頑張れそうです」
「共感できることがたくさんありました!」
あたたかい感想をいただけることも増えて素直に嬉しさがあふれた。自分を苦しめると思って具体化することを避けていたわたしのもやもやの霧は、苦しめるどころかそのままの自分を認めてあげる陽の光へと変わった。
今まで嫌な気持ちをそのまま放置していたけれど、あるがままに具体化した気持ちと言葉が、変わらない自分を認めて受け入れるツールになったり、ときには誰かの背中を撫でる優しい手のひらになれた瞬間だった。
社会のほうから「あなた変わっていますから"普通"という基準にきちんと合わせてくださいね」とたくさんの要求がくるなかで、この「かがみよかがみ」という場所は「変わらないあなたはそのままで素敵だよ」と教えてくれた。
これからのわたしは隠さず、あるがままにたくさんのことをこれからもいろんな場所で綴っていくことだろう。

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。