エッセイを書くことに出会ったのは、この先どんなふうになりたいかが見えなかったときだった。仕事は精神的に追い込まれていたけれど、声をあげられない状況。声をあげたとしても、立ち止まることができず、ただ時間をかけて人に迷惑をかけるだけになるのが目に見えていた。

今日を乗り切れば、明日を耐えれば、その日しのぎの毎日を送っていた。なんとかして、今の状況を抜け出せるヒントはないのか、いろいろ考えて、自分の得意と不得意を考えた。浮かんだのは、タイピングで文字を綴ることが好きだ、ということ。

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学生の時、人並みにはタイピングができたので、授業で発表する資料を作ったり、原稿を書いたりとパソコン作業を率先して引き受けていた。独学で習得したタイピングとブラインドタッチは、得意というわけではなかったが、好きなことのひとつだった。小説のように何万字と文字を書くことはできないが、自分の考えを綴るなら書きやすいだろう。そう思った。

転職を考えたとき、一般事務でパソコンを使える仕事をしようと考えた私は、パソコンのスキルを落とさないようになにかできることはないか、と探した。そんなときに見つけたのが、かがみよかがみでエッセイを書くことだった。コンセプトは、私は変わらない、社会を変える。私は今のままでいいのだと思えた言葉だった。テーマに沿った私の意見を書いて送った。

返ってきた添削には、私を肯定してくれるコメントが添えられていた。私はますます、今の私を無理やり変える必要はないかもしれないと思うようになった。時には昔を振り返り、時には現状を書き連ねた。どんなときも私はこう思う、こうありたい、を主張した。

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私の考えは、周りにとってどうでもいいことで、発しないほうが丸く収まる。今までの私は常にそう思ってきた。意見を求められない環境にできるだけ身を置くようにして、人の目につかないように生きた。お陰で、すべてに自信をなくし、できることは何もない。将来のビジョンなんてわからない。考えられない。やりたいことリストは白紙で、ペンは進むはずがない。そんな人間が出来上がっていた。

それでも、内側にフツフツと浮かんでくる思いはある。ひた隠しにして、泡が弾けてなくなるまで待っていた思いたち。これらをエッセイとしてぶつけてみたのだ。はじめは自分の思いを上手く言葉にできず、どう表現してよいかわからなかった。

ざっくりとまとまった言葉だけ並べて、簡単な説明だけで綴ってしまい、淡白な文章が出来上がった。文字数も足りず、文字数を増やすために付け足していたくらいだ。書き上げるまでに1日かかったときもあった。それでも、書くことはめんどくさいとは思わなかった。いつしか、自分を表現できる場所、私を整理できる場所となった。

エッセイを書く、という機会に巡り会えなかったら、私は自分がわからないままだったかもしれない。何をしたいかわからず、とにかく今を生きていただろう。過去を振り返り、今を俯瞰して、つらい、苦しい、はたまた、嬉しい、楽しいと感情を確かめた。これからどうなりたい、今よりどうなっていたい、という未来のことも考えられた。

たびたび書いていたのは、未来が楽しいと思えていること。進む道として選ぶなら、ワクワクする方へ。やりたいこと、やってみたいことを整理できたから、私はここで思いを綴れているのである。思いをたくさん書けたから、私は考えや行動を変えなくて良いことに気づいた。

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私から見た社会、私からみた恋愛のあれこれ、仕事や人生に関するこれから、多くの意見を共有し、私を見つけていけた。とてもいい機会に出会えたと思っている。この先も、私は変わらない。自分の価値観に素直に従う。それでいいとわかったから。

ただひとつ、感じた思いや考えたことを無視しないことは約束しなければいけない。これまで無視をして、見て見ぬふりをして私は私をなくした。ここで見つけた私をもう一度失ってはいけない。今の私でいいことが証明できたのだから、そこは胸を張っていこう。