私は根っから、女子特有のグループ行動が昔からどうにも苦手だ。中学・高校・大学、そして母になった今も、場面ごとにその苦手意識は形を変えて現れてきた。

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中学、高校とうまくなじめた記憶はない。中学校の時、なじもうと努力した記憶はあるが、どれも不発に終わった。

高校は心機一転、同じ中学校のメンバーがほとんどいない学校を選んだ。高校デビューを夢見た私だったが、そこで直面したのは、さらに複雑な人間関係だった。

高校では、女子のヒエラルキーに男子の目線が加わり、より複雑になっていた。一軍女子かどうかは、男子にどう評価されているかで決まるように見えた。

男子と仲良くなっている女子を見て、私は男子に好かれない女子は、女子にも好かれないのだろうと感じた。

自分の容姿に自信がなく、成績も良い方ではなかった私にとって、男子に好かれる存在ではないことは明白だった。

この構造が心底怖くなり、私は男子の評価という外部の目が作り出す序列から逃れるように、大学はあえて女子大を選んだ。

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男子がいない毎日は、驚くほど平和で穏やかだった。女子特有のグループ行動やヒエラルキーも存在しなかった。そこで私は、純粋に「私」という人間と向き合ってくれる友人たちと出会い、初めて人間関係の構築に恐怖感を感じずに過ごすことができたのだ。

私の人生において、女子大で過ごした4年間は、「個」と向き合う人間関係を学べた貴重な時間だった。

その後、社会人になって男性の多い職場についたのも、ある意味、私らしい選択だったのかもしれない。仕事という明確な目的がある人間関係はシンプルで、私にとっては心地よかった。

問題は、出産してからだった。

ママ友コミュニティが形成され、あの10代の頃のクラス女子ヒエラルキーが、場所と形を変えて再生産されたのだ。

若いママがもてはやされると思っていたけれど、実際は逆で、年齢が高いママの方が自信を持ってふるまえる分ヒエラルキーも上位だった。私は比較的若くして母になったので、いつも引き気味で、なじめている感じがしなかった。

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ママ友とのメインの話題は、旅行の話か、配偶者と子どもの話。私はもっと、自分のことを話せる友達が欲しいと思っていた。最近読んだ本、興味があること、なんなら好きなインフルエンサーだっていい。

でも、ママになって初めてできる人間関係で、そんな友達を探すことは難しかった。

中高の頃の人間関係に苦手意識があった私にとって、このコミュニティで居場所を作るのは至難の業だった。

私が友達を作れないせいで、子どもも友達と一緒に遊ぶ機会が減ってしまうのなら、子どもにも申し訳ないと思った。後ろめたさを感じながら、気づけば2年が過ぎていた。

ある日ふと、集まりの輪の外に目を向けてみた。すると、意外にも、ママ友コミュニティに参加して、積極的に仲良くしている人は、実は全体の半分くらいしかいないということに気づいたのだ。

残りの半分は、仕事で忙しかったり、趣味やおうち時間を楽しんだり、自分の時間を過ごしている。強制なんてどこにもないのだと、ようやく気付かされた。

このような方は、特に私の同世代や、下の世代の方が多いように感じる。

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私の世代は「ゆとり世代」と言われ、社会人としての協調性がないと言われたこともあったが、それは裏を返せば、「個」を大事にする価値観が身についている証拠でもあるのだ。

それから、私は人間関係の舵を大きく切った。

自分の好きなテーマの本を読む時間や、スキルアップのための時間を優先するようになった。子どもが遊びたがるときは、集団ではなく、特定の親子と一対一で遊ぶ約束だけを入れるようにした。

大学の時に学んだ個と向き合う人間関係が、自分にとって心地よいと知っていたからだ。
あの時、社会が変わってヒエラルキーが再生産されても、私は変わらなかった。

変わらない自分に嫌気がさすこともあった。でも、変わる必要もなかった。私は私。