女性だからを手放した夜。サラダを分け合う前に対等さを取り戻したい
男女平等とか、女性らしさとか、そういうことが言われる世の中である。私はそろそろ、女性だからではなく、人間だから尊重されたい。
男性とか、女性とか、バカみたいだなって思う。男性は女性のように家に入って家事をしなくてはいけないのか?働きたい男性もいれば、家にいて家事をしたい男性もいるだろう。女性は男性のように重い物を運ばなくてはいけないのか?男性の方が、明らかに筋力があって、体力がある。女性の不得手な部分を男性が助ければいい。
そもそも、自分以外の他人が困っていたら、優しさを持って助け合っていくのが、人間ではないか。狩猟時代がどうのとか、昔の人がどうのとかではない。困っている人がいたら、助けた方が絶対に良い。そこに女や男は関係ない。
以前、飲み会で、「女性だから」を感じる機会があった。大きく美味しそうなサラダが運ばれ、取り皿が私の目の前にあった。私は、私の分を取り分け、隣の男性にトングと皿を渡した。「え、やってくれないの?」と言われた。まだ、こんな男性がいるのだと、おかしくなって笑ってしまいそうになった。
たしかに、隣の男性はいつも男尊女卑の思想が透けて見えて、かなり苦手だ。そして、私はトマトが好きだから、トマトを多めに取りたかった。だから自分でサラダをとった。隣の彼にも好き嫌いがあって、お腹の空き具合も違うだろう。自分で取った方が、絶対に早い。そして私が男性だったら、彼は「やってくれないの?」と聞かなかっただろう。彼が腕を骨折していたら、慈悲深さと愛を持ってサラダを取り分けた。彼が困っていたら彼を助けるけど、私が女だから彼を助けることは、絶対に間違っていると大きな声で言いたい。
色々腹が立って、怒りがふつふつと湧きあげるけど、「好き嫌いを存じ上げませんので、すみません」と静かに答えた。
彼には私の苦手であるキュウリと、レタスの芯ばかり取り分けて、トングを大きな音で大皿に置いた。それから席を立ってタバコを吸いに行った。私は何も変われなくて、結局人に言葉で意思表示をするのが難しい人間なのだ。
飲み会のサラダの件があった少しあとに、友人に、「理想のタイプは?」と聞かれた。私は少しだけドキッとして、その質問を返すのに時間がかかった。
最初、「サラダを自分で取り分ける人。そして私にトングを渡してくれる人。私にサラダを取り分けさせないでほしいし、サラダを自分から取り分けて、優しい男性アピールしないでほしい。私は、男性の分のサラダを取り分けるのは嫌だし、男性が私のサラダを取り分けるのも嫌。だって、私はお腹がすいているから」と打ち込んだ。わかってもらえないだろうと思って、すぐ消して「話し合いができる人」と在り来りな答えを書いた。
サラダを自分で取り分ける、ということは、自分の権利を大切にしているということだ。私にトングをきちんと渡してくれる、ということは、私が有する権利を大切にしてくれるということだ。
私は、私が生きて、当たり前に持っている権利を、だれにも絶対に渡したくないのだ。私は変わらない。でも、相手も変えない。みんなが変えたくない部分を、みんなで大切にできる世の中でありたい。そして、サラダのトングを持っていたい。私は飲み会でも、職場でも、世界中どこの国にいても、常に権利というサラダに対して、お腹がすいているのだ。

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