ずっと謝りたかった。
届かなくなって、もう随分経つけれど、永遠に消えない気持ちというのがあるんだと知った、そんな出来事。

照れ臭くて、恥ずかしくて「父のための日」への意識と感謝の意をないがしろにしていた

私が大学生の頃、友人と大学の近くでルームシェアをすることになり、実家を出た。とはいえ、電車で一時間ほどだったので、何かあると気軽に帰っていた。
例えば姉の誕生日や、母の日なんかには、恥ずかしいのでそれを理由に帰るなんてことは言わなかったけど、何かしらプレゼントを持って、帰省していた。

そんな中、“父の日”に関してはスルーしていた。
大学の課題や、自主制作が忙しく、そっちに気を取られ、父の日は何もない日と同じようにサラリと過ぎていく。「あ、今日は父の日か」くらいはよぎるけれど、父に送る贈り物はいつも考えるのが難しくて、なんとなく時間がかかってしまうので、まぁいっかとなるのであった。

私が二十歳になる年も、帰省もしないわ、プレゼントも買わない、特にメールもしなかった。自分が通っている大学、住んでいる家、すべて父が稼いだお金で成り立っていたけれど、そんなことは当たり前だった。
感謝の気持ちはあったけれど、生まれた瞬間から用意されていたその条件に、必要以上に有り難みを感じるのが難しくて、いつもなあなあにしてしまっていた。

私は父と誕生日が近く、二十歳という記念の年でもあったので、合同で誕生日会をしよう。家族で晩御飯を食べようということになった。
京都の先斗町で少し良いお店を母が予約してくれた。初めて家族との食事でお酒を飲んだ。
父は私にお誕生日おめでとうと言ってくれた。私は恥ずかしくて、父の誕生日の場でもあったのにおめでとうと言えなかった。
その後、注文したものが出てくるのが遅いだのなんだので、食事の席は少しごちゃついてしまい、なんだかみんなの空気があまり良くない感じでその日の食事会は終わってしまった。

夜の京都、四条通り。
私の家の近くにわざわざみんな集まってくれたので、家族が駅に向かうのを見送る時。歩道に立つポールにもたれかかりながら、まだウジウジしていると、母が「お礼言いや」というので、私はムゥとしたままやっとのこと「ありがとう」と言った。父はうん。と微笑んでいた。遂に私は父におめでとうと伝えないまま、解散してしまった。

その時は突然に。変わり果てた父の姿

次に連絡があったのは、数日後。放課後の作業中。滅多にかかってこない姉からの電話だった。どういうこと?と疑問を抱きながら電話を取ると、父が倒れたので急いで病院へ来いと泣きながら言うのだった。

その声が、物語っていた。ちょっとした怪我とか、軽い病とかではないのだと。
詳細はその場では教えてくれなかったが、とにかく緊迫した状況であるに違いなく、準備して電車に飛び乗ってから不安でポロポロ泣いてしまった。

病院に到着すると先日私に微笑んだ父は、もう、自分では呼吸をしていなくて、機械がいっぱい繋がっていて、たった一言さえも口にすることはなかった。まして、私の声も届いている様子がなかった。

すべて、すべて当たり前のようにあったのに。これからありがとうとか、お父さんも誕生日おめでとうとか、伝える機会はいっぱいあると思ってたんだ。
結婚するとしたら、当たり前のようにバージンロードを一緒に歩くんだって思ってた。私たち家族は、ずっとこのまま生きていくのだと。

でも違った。全部、奇跡のような出来事だったのだ。全然、そんなこと知らなかった。
私の最後の父の記憶は、私の二十歳の誕生日の記憶だ。

消えない後悔と今なら父に思いっきり甘えたい伝えられない思い

それからずっと謝りたいと思っている。
父の日や、誕生日に、ちゃんと気持ちを伝えなくてごめんなさい。ずっと後悔している。多分永遠に、後悔してしまう。私がもっと大人になれたなら。もっと素直なら。
最後に、嫌々ではなくちゃんと「ありがとう」と言えていたなら、多分結果は全然違ったと思う。

あの日腰掛けた歩道のポールはずっとそのまま立っているけれど、その近くのお店はコロコロと入れ替わり、街の風景は日々変わっていく。目に焼き付いた、父との最期の記憶が、たった一つのポールを残して、どんどん変わっていってしまう。あの交差点の角を通るたびに胸がチクリと痛む。

後悔のカケラは、何年経っても、どんなことが起きても、刺さったままで抜けないのだ。

あの時より大人になって、きっと父も許してくれるはず、そもそもそんなこと気にしていなかったに違いない。なんて、親の側の気持ちが少しずつわかってきても、どうしてもその後悔は消えない。
その気持ちと私は、一緒に生きていくしかない。

ただ、今後に出会う大切な人、今の家族に、あなたのことが大好きであるということ、すごく大切に思っているということ、生まれてきてくれてありがとうということは、全部伝えられる。もう、これっぽっちも恥ずかしくない。伝えるということは、自分も救われるということなのだから。

父とお酒を酌み交わしたのは一度だけ。私も結構大人になりました。
だけどいつまでも子供みたいに抱きついて言いたいと思っている。お父さん、大好きと。