「ああ、どうせ私の事なんて分からないんだよ」
ずっとずっと、そう思って生きてきた。
いつも否定されていた私は、平気なフリをしながら心では泣いていた
ファッション、ヘアスタイル、センス、メイク、声や話し方…すべてにおいて否定されてきた。「変」「おかしい」「子供みたい」、最後には「気持ち悪い」まで言われた。
その度に「どうせ私の事なんて分からないんだよ」口には出さないけれど、そう思ってきた。心の中では大粒の涙を流しているのに、平気なフリをしていた。
学校では素を隠して、友達ごっこをして数人で遊園地に出かけた。「私という人間はおかしい」と刷り込まれていたから、素を出したらいけないと思っていた。
でも、何とかして楽しむために、趣味のカメラを持って行って写真を撮ってたら、後日「『1人で写真ばっかり撮っててありえない、自分勝手』と悪口を言われていたよ」と別の友人から聞かされた。
その時に、目の前が遠ざかるような、血の気が引くような気分になったことは忘れられない。正面から武器で腹を刺された気がした。
同時に「私はありのままでいたらいけない。自分を殺さないといけないんだ」と、思った瞬間だった。
短い前髪や派手なアイシャドウ…ぜんぶ私を保つための武器だった
それでも、人と違うことをしないと自分が生きてる意味がないと思っていたから、“変でいること”をやめられなかった。
だから前髪は短く切り続けたし、派手なアイシャドウをつけ続けたし、子どもっぽい服を着続けた。それが私の“表現”だった。
正解なのかは全くわからなかったけれど、それらはすべて“私”でいるための命綱であったし、同時にそれは私の好みでもあったから、自信がないのに、変だと言われるのにやめられなかった。すべて、自分を保つための必需品だった。
だけど、そんな調子で私のすべてを否定され続け、それに抵抗する日々を続けていたら、ある時限界が来た。ストレスで心身のバランスが崩れ落ちたのだった。
どこにいても涙が止まらなくなって、息が苦しくなって、手が震えて、頭が痛くて、死にたくなった。
というか「もう死ぬかもしれないな」と思った。今考えれば、うつのような状態だったのだと思う。
電車に乗れなくなり、学校にも行けなくなった。一人でいることが出来なくなった。
自分がコントロールできなかったから 、自分が思いもよらないようなことをしてしまうのではないかと思って恐ろしかった。
でも、そんな時に私のことを助けてくれる人がいた。「そのセンス、私は好きだよ」って言って認めてくれた。私の事をまるごと認めてくれる人に出逢えたのだった。その人は「そのままでいいよ」と言ってくれた。私の涙を全部受け取ってくれた。
そして、こうなってやっと「もうなんにも口出さないで!私の好きにさせて!放っておいて!」と言えた。
支えてくれた人のおかげで、私は自分に自信を持つということを覚えた
その後も何度も悪い波は訪れて、とても苦しかったけれど、支えてくれた人のおかげで私は奇跡的に立ち直れた。
もちろん、今でも心が折れそうになる時はある。だけど、助けてくれた人のおかげでちゃんと生きたいと思えた。
「命を大事にしたい」と思った。前よりもずっと、私という軸が存在しているような気がする。
そして、私の経験や内側にあるものを生かしたいと思った。
同じような思いをしてる人がいたら、今度は私が助ける人になりたいと思った。
だって私はその人のおかげで今ここに生きているから。その恩返しをしたいから。その方法の一つとして、私から湧き出てくるものを描いた絵や文章を、色んな人に見てもらいたい。
表現を始めたのは、その人がくれたきっかけがあったから。
大好きな言葉や色を使って、もっとたくさんの表現をしたい。もっともっと。そしてこれからはもう、自信を持って変でいようと思う。だってそれが好きなのだから。ありのままの私なのだから。
私は今、自分を愛している。
出来ることなら、あの時の自分を抱きしめてあげたい。「大丈夫だよ」と言ってあげたい。