「背中ひろっ」と背後から彼の声がして、意味がわからず「なにが?」と軽く質問をしてみると「まいの背中がさ、なんかこう逞しいなって」はははと笑いながら、バックハグをしてやっぱり逞しいぞとまた念をおされた。
「そのままのわたしでいい」「まいは、太ってないよ」と彼は付き合うとき言ったし、いつもわたしに美味しいものを食べさせてくれる。「ひどい」ちょっとだけ泣きそうな声で、わたしはつぶやく。
けれど、その単語は彼の唇で塞がれた。好き。やっぱり好きだ。彼のために痩せよう。わたしは“逞しい”から“華奢”になろうと決めその日を境に、ダイエットを始めた。
食べる量を極端に減らして、体重が落ちていくとうっとりしていた
朝は食べずコーヒーだけ。昼はキャベツの千切りだけ。夜はお酒だけ。最初の1日で2kgも痩せた。わっ、簡単じゃん。食べなければ痩せるし。そんな当たり前なことがいつの間にかゲーム感覚になっていて、体重が落ちていくことにうっとりするようになっていた。けれど彼と会っているときだけは、きちんと一緒に食べないとならない。だからそのあとは、丸1日絶食したり下剤を飲んだりして帳尻を合わせた。
けれどもそんな生活も長くは続かない。
8kgほど痩せたころから全く痩せなくなったのだ。痩せなくなった途端、体が疲れやすくなり集中力も散漫で仕事でミスをすることが多くなった。手足が冷えて、夏でもカーディガンを羽織っていないと寒くて震えてしまうほどだった。
ある日、髪の毛を何気なく触っていたらごっそりと抜けてギョッとなった。栄養が髪の毛まで届かないのか抜け毛がひどくなり、いつもフラフラだった。
けれど、元々そんなに太っていなかったから8kg痩せたからって「あれ? なんかやつれた?」くらいにしかわかってくれず、わたしは「なんでなの!」と呆れてさらに食べることを拒むようになった。
彼と別れることにした。あの人が邪魔だった。もう痩せるには男とは付き合えないとつくづく思った。
太りたくなかった。過食嘔吐を繰り返して、体重が33kgまで落ちた
たまたま両親が旅行に行った日があり、家で一人だったわたしは、台所にあるメロンパンを見つけてしまった。もう何ヶ月も食べていないその甘いパンに、引き寄せられるかのようについ食べてしまう。美味しかった。涙が出た。誰も見ていない。
わたしは、飢えた子どものように貪るように食べた。けれど、食べたあと後悔が襲った。「せっかく今まで我慢して来たのに!」「なんでこんなところにパンなんてあるの?」と旅行で家にいない親に怒りをぶつけた。どうしよう。太ちゃう。怒りが焦りに変わる。
そうだ、吐けばいいんだ。トイレに行き、喉の奥に指を入れ「オエッ」とえづきながら食べたものを吐き出した。途中で水を飲んで、また吐くとうまく吐けた。
その日から、わたしの過食嘔吐が始まった。大量にお菓子やパン、弁当、アイスを買い込んで部屋で一気に食べて、トイレに駆け込んで全部吐く。幸い家の2階の部屋はわたししか使っておらず2階にもトイレがあった。
毎日、毎日、会社の帰りにコンビニに行き「あ、領収書もおねがします」と過食嘔吐と悟られないため、いらないのに領収書を頼んだ。用意周到だった。
食べてから吐く行為は思いのほか疲れるもので、そのせいもあって今度は誰が見てもわたしは「痩せた」と思わせるようになっていた。
体重は33kgになっていた。「背中ひろっ」と言われてから、ちょうど1年後の話だ。生理も止まってしまっていた。
母親は泣いた。「なんで?」「どうして?」と自分を責めていた。母親のせいじゃないし、わたしがしたことなのに、彼女はなぜかわたしに謝った。そのときだった。ガラス窓に映る変わり果てたわたしの姿に気がついたのは。わたしは、母親に抱きつき一緒に泣いた。
体重に依存していたからわかる「食べること」を粗末にしてはいけない
その後、心療内科に行きカウンセリングなどを受けて、過食嘔吐はなんとか克服した。今では、母親が作ったカレーや煮物などをきちんと食べている。
あの頃の自分は、わたしだったけど、わたしではなかった。体重に依存をしていた。
人間は食べるものから出来ているし、死ぬまで食事の回数は決まっている。だからこそ食べることを粗末にしてはならないのだ。
「今夜はね、茄子の煮浸し作ってよ。てゆうか今度教えて。わたしの十八番にするからさ」と言うと、母親は「いいわよ。やる気があればね」と笑いながら言った。
今は彼氏はいないけれど、“食べること”がわたしにとって一番大事なので、しばらくは自分の体と向き合っていきたいと思っている。