コロナの影響で外出自粛となり、決まっていた旅行やライブ、友達とのランチなど全てキャンセルとなり、当たり前のルーティーンを抑制させるストレスを感じ始めた。

時間を持て余し、経済雑誌を読んでみると『老後資金〇〇円は必要』などと不安をあおられる記事がそこら中にあふれている。
それを読んでは「私はちゃんと貯金しているし、散財していなから大丈夫!!」と鼻息を荒くしていた。

倹約することが正しいと思ってた。でも、本当はキラキラしたかった

そんな私は「もったいないからまた今度」が口癖で、毎月結構な額の貯金をしている。気になる美容や習い事などやりたいことでも、予算を超えれば我慢していた。

外食や旅行も回数を決めている。
私は間違っていないと思っていた。倹約することが正しいことだと疑わなかったし、それをきちんとできている私は偉いと。

自称倹約家と胸を張っている反面、好きなものを好きなだけ買って「爆買いしちゃった!!」と楽しそうにする友人を羨望せずにはいられなかった。

だって、心から楽しそうに笑う友人は本当にキラキラとしていたから。
「どうしたら、老後の不安を考えず生きていけるのか」これが私の悩みだった。

倹約することばかり考えていて、経験を逃しているのかもしれない…

しかし、外出自粛しなければいけなくなり「また今度」が、いかに不確実なものなのかと思い知った。私が我慢してきたことは、今しかできないことかもしれない。経験する機会を自ら逃していのかもしれない。そう思えるようになった。

金銭面で我慢したラスベガス旅行や老後でいいかと我慢した老舗温泉宿、高いけど私に絶対に合う素敵な色の口紅、我慢したパンケーキのアイストッピング…。

そう考えていくと、お金では買えがたいこともあることもたくさんあることに気が付いた。
飛行機で12時間の旅は、今だって遠いと思う。しかし、あと10年したら肉体的に私は耐えられる?そもそも、選択肢にさえ挙がってこないのではないか。

「子供ができたら自分が好きってだけでやりたいことを決められない」と母になった友人が言っている。

「想像することで自分を満足させていたけど、本当のこのままでいいの?」と思う。もっと私を裕福にしてあげたい。満足させてあげたい。純粋にキラキラしたい。

お金がたくさんあることより、大切なことがあるのかもしれない

私は今まで、“裕福=お金があること・貧乏=お金がないこと”と思い込んでいた。

でも、お金がたくさんあっても、なにも経験したことない人生にするのはごめんだ。
黒毛和牛は私の想像よりも、はるかにまずいかもしれない。
日本食が口に合うかどうかは、そもそも他国の料理を食べてみないとわからない。でも、私には経験がそんなにないじゃないか。

すぐに、このケチな性分は変えられないだろう。とりあえず、外食では必ずデザートを注文するところから始めてみようと思う。人生最高の出会いになるかもしれないから。