自信はそんなにないけど、なぜか自分という人間が嫌いじゃない
テーマを目にしてまずは困ってしまいました。なぜなら自分を可愛いと思う瞬間なんて本当に本当にないからです。ルックスには基本自信がありません。写真を撮るたび自分に対する「うわブスだ」「顔まるすぎ」が止まらないし、好きなアイドルや芸能人を見ては、こんな容姿になれたらな、なんていうきりがない妄想をしています。性格も特別良いわけではありません。マイペースだし、おっちょこちょいだし。
だけどよく考えてみると、私はひとつ気が付いたことがあります。それは、なぜだか私は自分という人間が決して嫌いではないということ。自己肯定感が低いわけでもないということです。驚きです。見た目も性格にも自信がないのに、自分が嫌になってしまうことがあんまりないなと、ふと思ったのです。
なぜでしょうか。思いつく理由としては、自分自身をそこまで好きではなくても、それをカバーしきれるほどに、私は自分の“人生”が大好きだからかもしれません。
なぜ、こんなにも自分の人生が好きなんだろうか考えてみた
もしかしたらこんなに大袈裟に言ってしまったので、じゃあ君のその人生って一体どんなものなの?何かすごいことがあったの?なんて思われてしまうかもしれませんが…。先に答えてしまえば、多分、私の人生はめちゃくちゃ一般的なものです。ごく普通の家庭に生まれ毎日を過ごしていたら、いつのまにか今日を迎えていたという感じです。
特別な何かがある訳でもない自分の人生を、なぜ大好きだと思うことができるのか。考えてみると、ひとつ、私には誇りと思えることがあるなとふと浮かんできました。
私は普段から、自分に対しても他人に対しても「素直」に生きています。無意識のうちにですが、あまり自分を飾ることなく、等身大で生きているのです。自分が好きなものはとことん好きだし、食べたいものはちょっと我慢してみるけど、結局夜でも食べちゃう。他人を素敵だと思えばとことん褒めるし、誰といようと映画で感動すれば大号泣です。
自分をかっこよくみせたいという気持ちもないので、人に甘えていつも助けを求めてしまいがちです。“お菓子の袋が開けられない”みたいな小さすぎることから、進路選択のような大きな決断まで。誰にでもすぐに頼るし、相談もします。1人で解決することなんてほとんどないかもしれません。「ねえこれやって~。」「どうしたらいいかわからないんだけど助けて。」が口癖なのは、自分でも自立しないとやばいかなと思うこともありますが…。
だけど私のまわりの家族や友達って良い人ばかりなのです。そんな私のことを見捨てず、手を差し伸べてくれる人ばかり。
素直にありがとうを伝えたくなる、私の人生を彩る大好きな人たち
そう、先程述べた私の人生で誇れることとは、このこと。自分の周りにいる人たちと出会えたことです。どんな時も1番の味方をしてくれる家族、困った時に寄り添ってくれる友達。直接的なつながりはなくても、私は画面の向こうで活躍する好きなアイドルにもたくさん救われてきました。きれいごとに聞こえるかもしれないけど、私はこんな素晴らしい人たちに出会えたこの自分の人生が、とっっても誇らしく、大好きなのです。
まずはそう思わせてくれる人たちに感謝ですが、みんながこんな私に手を差し伸べてくれるのは、自分が素直にまわりを必要とし、素直に頼り、素直に「ありがとう」って言うことができるからなのかもしれません。そうだとしたら、私は自分の素直な部分が好きになれそうです。ヘラヘラとまわりに頼ってしまう自分のことも、少しだけ可愛いと思えるような気がしてきました。
みんなのおかげで毎日幸せだな~と感じながらニコニコと生きている私を、“しょうがないんだからこの人は”なんて、呆れながらもちょっとだけ可愛いと思ってくれたら嬉しい気持ちです。