両親から受け継いだ一重の目や丸い鼻。私はこのパーツ達が好きだった

自分の顔って両親の顔のパーツでできている。そう感じたことがある人は少なくないと思う。
私のこの一重の目と割と歯並びの良い口は父親からだし、私のこの丸い鼻は母親からだし、6歳下の弟とはすごくそっくりだ。一重の目と丸い鼻。誰が考えたかわからない美人の基準に当てはめてみると、このパーツたちはなおすべきなのかもしれない。
だけど、私はこのパーツたちが好きだった。自分の顔に父親と母親を感じるから。
ただ、一重の目にはたぶん一生忘れない思い出がある。あれは19歳の冬だ。大学に進学するために東京に出ていた私が久々に帰省したときだった。
母親と2人きりで夜ごはんを食べにいった。二人で横に並びながら、母はカクテル、私はソフトドリンクを飲みながら、女性のキャリアについて、お互いの生活について、占いについてなどガールズトークってやつを楽しんでいた。
ある程度時間が経ったとき、父も合流することになった。たぶんはじめて3人でお酒とソフトドリンク、おつまみを食べながら会話した。弟を除け者にしていることは十分承知だが、一足先に大人になったようで気分はるんるんだった。

おんなじ目の形をした父から言われた、今でも忘れられない一言

ふと、父が私の顔を見ながら「目とか整形しないの?」って言った。
父に悪気はなかったと思う。一度だって私の容姿に対して何か言ったことはなかったし、テレビに映った芸能人の容姿に対してとやかく言うタイプでもない。
それでも私は深く傷ついた。そのときは傷ついたなんて思わなかったけど、今でも忘れないしこれからも忘れないって思うということは傷ついたんだと思う。なにが悲しいって父親から言われたことだった。一重の父親から。私とおんなじ目をした父親から言われたことが私を深く傷つけたんだと思う。
だって私が私の目を好きな理由は、父の目とおんなじだなって思うからだから。

誰かが作った美の基準、その思い込みが時に人を傷つけてしまう

一重がダメで二重が良いっていうのはいつから多くの女性の美の基準になったんだろう。
一重が良いって人ももちろんいる。だけど、YouTubeには「一重から二重になった方法」みたいなタイトルの動画がたくさんあるし、「一重さんを二重に見せる」なんてタイトルのメイク方法が美容雑誌には載っている。
つまり数で考えると、大多数の人々は二重が良いって思ってるってことだ。
もちろんどんな目になりたいかと考えることは自由だ。一重の人が二重になりたいと思うことも自由だ。

ただ、みんながみんなそう思っているわけではないことを理解してほしい。暗黙の了解、無意識の自分の概念がときにすごく人を傷つけることがあるから。
たぶん私は父から言われた言葉を鮮明に覚えていると思う。これまで自分の容姿に対して言われたことは忘れないけど詳しくは思い出せない。
だけど、私は同じ一重の目を持った父から言われた言葉を絶対一生覚えている。