「無理に、この経験は無駄じゃなかった、とか思わなくていいんだからね」
この言葉には、優しさしかないこと、いったい何人の人が理解してくれるだろう。
"みんな"にうまく溶け込めずに、今をただただ耐えていた私を、母はこのひとことで、すっかり救ってくれた。
激しいいじめがあったわけじゃないけれど
小・中学生の頃。私には友達がいなかった。
地域のソフトボールクラブに所属していたし、学級委員なんかもするタイプだった。
けれど、友達はいなかった。
激しくいじめられることもなく、ただただ浮いていたと思う。
特に小学生の頃の私は、学校終わりに誰かと遊んだことが1度もない。毎日急いで家へ帰って、家の鍵を開けて、お米を研ぐことに夢中だった。
「まゆちゃんは、お米の係りね」
既に高校生・中学生だった兄や姉は部活動で忙しく、家事を母に任命されたのは私だけだった。
母やみんなが帰ってくる前に、お米を炊いておく。
当時の私にはこの特別感がとてつもなく嬉しい。
役割がある、誰かの役に立つ。
この何かに参加していて、必要とされている感覚が、当時の私を生かしていたなとも思う。
知っているだろうと思った過去の話に、家族の顔色が一気に変わった
バレているだろう、と思っていたけれど、私が学校に友達がいないこと、家族はあまりわかってはいなかったらしい。
「小・中学生の頃ってさ、こんなだったんだよね」
高校生になってから、なにがきっかけでこんな話題になったか覚えていないけれど、「どうやら自分は周囲に馴染めない人間なのだ」と気付いた小・中学生の頃の話を母と姉にした。
母や姉の顔色が変わり、
「そうだったの?」
「そんなことがあったの?」
と、私の想像していた反応とは全く違う2人がそこにいた。
「知っていると思ってた」
私のその言葉に、2人は首を横に振った。
そうか。私の事なんだから、私が言わなくちゃ、知る由もないよね。
と気づくのが遅かったし、そうとなれば言ってしまわない方がよかったと一瞬で焦った。
この2人が心配してくれるほど、私はこの地元の人たちと馴染めない事を、気にしてはいないからだ。
母の言葉は、鈍感になっていた痛みを剥き出しにして、癒してくれた
何故か物心ついたときから、「将来は東京に行く」と決めていた。実際そうしているんだから、ふらふらしているようで、やはり私は頑固者だ。
だからこの地元の同級生や教師たちとうまく付き合えなかったところで、大した問題じゃないと思っていた。
確かに、その場その場でキリキリと胃が痛むような経験はたくさんあったのだけれど、この人たちは長い目で見れば、私の人生にあまり関係のない人達だから、と流していた。
ただただ、早くここを出たい。
その一心だけだった。
だから、どうしようと思った。
母や姉が、同級生や教師たちのふるまいを私より深刻に受け止めてしまったら。
母がショックを受けてしまったら、と今更な後悔をし始めたところに、母がこう言った。
「無理に、この経験は無駄じゃなかった、とか思わなくていいんだからね」
え、そうなの。
が正直な最初の気持ちだった。あの耐え抜く期間はやっぱり無駄ってことなのか、と取れなくもない。
でもこの日の夜、母とすのこで手作りしたベッドの中で、私はふと泣き出してしまった。
嫌な思いした、って思っていいんだ。
しなくていい経験だったなって、思ってもいいんだ。
それまで張り詰めていた気持ちが、一気に脱力して、私は本当は、悲しかったし、困惑していたし、自分自身が苦手だ、と初めて悩みの根源を覗けた気がした。
する必要のない経験もあると知って、私の中に太い軸が出来上がった
SNSを見ていて、みんなすごいな、と思う。
辛い経験をした人が、「でもこのお陰で今の私がいます」「あんなことがあったから、これを成し遂げられました」と、なんでも捉え方次第でプラスだよ、と発信してくれる。
たくさんの人が「いいね」と親指を立てたり、ハートを送る。
それはすごく素敵だと思う。私もそういう風に思った出来事がたくさんある。なるべくそうしたいとも思う。
でも全部が全部、そうできなくったっていいんだよ。
私の母が私にくれたこの優しさを、何人の人が理解してくれるだろう。
この言葉のおかげで私には、ないように見えてかなり太めの軸が備わっている。
する必要のない経験もある。しなくてもよい思いもある。
それを受けてしまった時に、糧に上へ上へと、ストイックになれなくても自分を責めなくていい。
東京に出てきてから、母とは1年以上会わない期間もある。
でも母は私が母のもとにいる間に、必要なことは全て教えてくれていた。
だから、近くにいなくても、大丈夫。
母も私を、信じてくれていると思う。
家族ってこういうことか、とこの文章を書いていて初めて気づく。
ありきたりで安っぽいけれど、私は母を誰よりも尊敬している。