社会人3年目となって、
会社の内情も職場の人間関係も仕事内容も、ある程度わかってきた。 
接客を生業としているので、ニコニコすることは得意な方である。人に対して分け隔てなく、親切にできる。
しかし、私の価値観や性質上、効率や利益とは無縁で、利益を上げてなんぼな今の仕事のほとんどに、苦しみを感じる日々でもある。

その中で、
他人と同じだけ頑張らなくてはいけないのだろうか?
と、思うようになった。 

あの人はあれだけの仕事をしているのに、あの仕事量をこなしているのに、私はこれだけしかできない。
3年目の力量とは関係なく、明らかに“できない側"にいる私は、人と比べてもしょうがないことを知りながら、そんな呪縛から解き放たれないでいる。

人それぞれ違うのに、人と同じ「頑張り」を求められる苦しさ

人それぞれ、
頑張れる時間も、頑張れる事柄も違う。
脳のキャパシティや、処理速度も違う。
そもそも頑張るという言葉の捉え方や、重みも、何もかも違うのだ。他人に自分と同じだけ要求するのはやはり、良くない。

『だったら、他に自分に合う仕事を見つければいい、仕事はごまんとあるんだから』
そんな声もあるけれど、少し前までの私は、『まだ、十分に仕事ができるわけではないのに今辞めたら中途半端だ』などと言って、いつかの転職を見据えながらも、今自分がいるこの場所で、闘っていた。

世の中は、社会というのは、何故か、
私が私らしく生きていくのを邪魔してくる。
できない私は私自身を苦しめて、行き場をなくす。

しかしそんな思いとは裏腹に、
十分すぎるほどにわかっているのが、苦しい。
人生は、自分の捉え方次第であり、考え方一つで周りの景色が180度変わること。
あれよあれよと、固定概念が崩れていく。
価値観は違って当たり前だし、やりたくないことだってある。

苦しくても傷ついても、自分は自分の味方でありたい

でも結局のところ、私が気づいたこと。
社会に求めるのではなく、自分を変えていくしかないのだということ。
自分で自分の言葉を作り、道を作り、愛してくれる人を愛す。愛したいと思う人を愛す。
好きなものを食べ、好きな雰囲気を愛でる。

どんな言葉も素直に正面から受けて、傷つく。失敗したことについて反省を反芻する。
できない自分を安易に責める、
『もっと頑張れる』と泣きながら苦しむ。
そんなことが日常に転がっている。
生きづらい私へ、私から届けたいこと。

どう生きてもいい、どんな失敗もしてもいい、苦しければ逃げていい、他人の声に耳を傾けなくてもいい。

覚えておくべきことは
あなたの最も強い味方はあなた自身である。
そしてそれは永遠であること。