今朝、たぶん電車で痴漢にあった。「たぶん」という言い方をするのは、その男性の私への触れ方にある。
車内は自分の周りに1~2人分のスペースは確保できる程すいているのに、妙に近付いてくる男性に違和感を覚えた。すぐに距離を取ったけれど、しばらくすると何かが私の腰の付け根に触れた。それが“てのひら”“男性器”だったなら、手をつかんで駅員さんに突き出しただろう。
しかし、彼は自分の前で抱えたリュックを支える“手の甲”で何度も、揺れに合わせてちょこちょこと触れてくるのだ。これでは、もし突き出しても「ただ当たっただけです」と言われてしまう。それに、もしかしたら本当に他意はないのかも。
そう思っていたけれど、私がさらに距離を取ると、停車駅に近付くより早く彼は私から離れ、遠くから私の顔も何度もちらちらと見た。その視線がなんとも粘りつくような気持ち悪さで、うまく言えないけど「痴漢だ」と思った。でも、“視線”では痴漢を証明できない。
合意のない人相手に自分勝手な性欲を満たす人は大嫌い
私は別にセクシーな服を着ていたわけではない。首元までしっかりボタンを閉めるタイプの服を着ていた。昔はよく祖母に「派手な格好で夜遅くまで遊んじゃいけないよ、悪いことされるからね」と言われていたけど、痴漢に服装は関係ないということを、大人になるにつれて知った。
私はアダルトグッズメーカーで働いているし、いろんな性癖を持った人に興味がある。
いわゆる“下ネタ”も大好き。“自分が気持ちよくなること”“誰かを気持ちよくさせたい”という気持ちを追求する人は勉強熱心でとても思いやりのある方が多いと感じるし、話していても不快な気持ちにならない。
でも、合意のない人相手に自分勝手な性欲を満たす人は大嫌いだ。そういう人はとっても失礼だ。どうして見ず知らずの他人を傷つけるようなことができるのか、我慢できないのか、不思議でならない。
自分のおっぱいやからだを簡単に傷つけるな!
ナンパを断って「ブス」という言葉を投げ捨てられたこともある(そういう人はたいてい全然カッコよくない)。
どうして他人のコンプレックスを刺激するような言葉を、いとも簡単に吐いてしまうのか。
私は電車で頭髪の薄いおじさんにグイグイ押されても、「あなたハゲてますね」なんて言わないのに。
正直、私も好みの男性を見た時は色々妄想する。エッチなことも。
でも本人に「おちんちんでかそうですね、一発どうですか」なんて言わない。
言われた相手はきっと怖がるし、性別関係なく嫌な気持ちになると思う。
そして多くの女性は、実際言われたことがあって、とても悲しい気持ちになることを知っているのだと思う。
男性に痴漢にあった話をすると、心配ではなく「気のせいじゃないの?」なんて言われることが意外とある。きっと、実体験がないからなんだろうな、と思う。
でも私は、すれ違いざまに「セックス」と囁かれたり(一体どうしたのマジで)、デコルテ(鎖骨)の見える服を着ているだけで「きれいなおっぱいですね」とわざわざ言い去っていく人がいたり(おっぱい見えてないですけど)。
胸が出てるかどうか、セクシーな服かどうかなんて関係ないのだ。
私は自分のおっぱい、からだが大切だ。自慢できる体じゃなくても、とても大事に思っている。そんな私の体を簡単に傷つけるな!と叫びたいほど悔しい気持ちになる。
たとえ「エロい」と思っても、その言葉と視線は向けないで
なぜだか分からないけど、「かっこいいな、かわいいな」と思われる気持ちは温かく優しく伝わってくるのに、性的な視線は敏感に、気持ち悪く伝わってくる。
そんな他人からの悪意ある視線を気にしながら、服装なんて選んでられるか!と思うし、足が痩せたらミニスカートだって履きたいし、夏が来たらビキニも着たい。
そんな服装の女性を見て、たとえ「エロい」と思っても、その言葉と視線は向けないで欲しい。私は自分のことを考えて、自分の好きな服を着ます!そう高らかに宣言したい。