「顔見たくない。」と思うことが増えたおばあちゃんとの同居生活。
一人暮らしの期間を除いても、約10年母親の実家であるこの家でおばあちゃんと暮らしている。
コロナのせいだとずっと心の中でも声に出しても思い続けて、そう思い続けても止まらない、なんだか自爆して自分をノイローゼ状態にしてる。

大学はオンライン授業なので、家の中で「学生」を完結できている。最初はよかった。無駄なことが削がれた気がしていたから。
通学の負担がない、教科書を用意したり、紙媒体でコピーしたりといったことの免除などから生まれた優越感も意外にもあっという間に私のパソコンの目の前で砕け散った。
「大学=パソコン」を退室したあとに、災難はいつも起き始める。

わかってはいるのに、おばあちゃんとの関わり方の加減が掴めない

母親が仕事でいない平日の昼間、退室のあとにお腹が空いたからと台所へ向かうとおばあちゃんに会う。
普段のおばあちゃんも、孫であるからととても私に気を使う。とてもじゃない、それ以上の、そう。お節介。

それがみるみるうちに、日々を重ねるにつれて酷くなっている。酷くなるというのは、私自身でもわかりきっていることを突然上から目線で説明されたり、過剰すぎる心配をされたり、それまでは大きーく大きーく解釈すれば「優しさ」に収まったものなのだろうが、しまいには家のことの小言を独り言の雰囲気で吐き出されるようになった。
おばあちゃんのボケが始まっているのはわかりきっていたし、自分がそれらに対してマジメに返答したりしてこっちも受け止めすぎてしまうと自分がもたなくなるのも見えていた。けれどそれらに対応する加減が実際となると掴めなかった。
一時期、「言葉をかわしたくない、そして顔も見たくない。ここから逃げたい。早くまた一人暮らしに戻りたい」という思いが大爆発を起こした。

負の感情をポジティブに活かすため、「自分の終活」を考え始めた

それから、冷静期間があっても心のどこかでは「顔見たくない」っていう思いは消えることはなかった。そんな思いを大の家族に抱き続けてるなんていけないこと、って世間は思うんだろうけれど、無理だって即答してしまうし、法を犯すものになってないだけいいだろう、思っているだけなんだからって言い返してしまう。

この話は、ここまでにする。今までのことが負の要素になりすぎていて、逆に悔しい思いが生まれた。どうにかして、今感じた感情とか出来事をポジティブに活かせないかなと考えてみた結果が、「自分の終活」を考えてみよっと、に繋がった。

一般にいう終活は、自分が亡くなったあとの残ったお金遺産相続の話や自分のお葬式のこと、どこに骨を埋めるのかという遺言など。これからも生をまっとうしようと思っている自分でも、把握していることは具体的にはっきりある。考えてみようとしたはじめの一歩は、そういったことをメモに書き出してみようと試みだが自分がどの年代でその時期を迎えるのかというような判断要素の少なさですぐに断念してしまった。

「死」もひとつの一個の点として考え、「生」の視点を込めた私の終活

これを終活とは呼ばないのかもしれないが、私が考える終活は判断要素となる生きてく中でのパーツごとを、理想の死までの流れと一緒に組み立てていくことにした。
それ、ライフプランじゃん。って思われる可能性しかないけれど、私にとっては「死」もちゃんと一個の点として考えた「生」という視点を込めたい。
だから、生きていく中でのライフプランと区別せずに私はまとめてそれらを終活というように考えている。一生を流れとして考えていくと、必然的に死に近い部分の分量が未だに多い。
それは、最初に挙げた現在おばあちゃんとの生活での付き合い方にうんざりしちゃって自分がなくなりそうとまで思っているからが大きい。健康寿命で生きていたいけれど、ボケちゃって完全に自我の判断で生きていけなくなったら~とかその点だけでも色々な選択肢があって。
こうやって考えているだけで途方もないことだから、生きていくのってとてもエネルギー使うなとか再発見させてくれていたりする。知識や経験がまだまだな自分の頭でアイデアを出し切って、それらを繋いだり離して考えて考えて、を繰り返していく。すると、少しさっきより現在の悩みが少し標高の高い所から見下ろすようにみることができたり、一時的であれ楽観的に思える時が生まれた。