髪と気分というテーマを見ると、私は本当に気分で髪型を決めているなと思う。髪色は会社の決まりがあるので自由にすることはできないが、髪型は自由に決めているところがある。例えば、「暑いから短くしちゃえ!」と夏暑くて我慢ができなくなると決まってショートにする傾向がある。だが、私が昔からこういう人間だったわけではない。このテーマを見て、私が思い出さざるを得なかった日をここに記そうと思う。

母は毎朝私と妹の髪を編み込みするのが日課であった

私の子どもの頃は決まって、“ロング&三つ編み”。2つ下の妹もそうであった。理由は父がいわゆる“頑固親父”というやつで、「女の子ならロングだろ!」「ロングな女の子が好き!」といった理由で、母は毎朝私と妹の髪を編み込みするのが日課であった。保育園児の時、小学生の時、中学生の時、実に10年近くである。毎朝私・妹を叩き起こして、時間内に編み込みまでする、今思えば母には本当に頭が上がらない。学校では編み込みがきれいな姉妹ということで羨ましがられていた。「お母さん上手ね。」と褒められていた影響もあるのか、父の“わがまま”とも言えるリクエストに振り回されていることも知らない上に、毎朝母に編み込みをしてもらうことに違和感も不満もない。髪型を自分で決めるという概念すらこの頃の私にはなかった。実を言うと私生活も知らずしらずのうちに“父の敷かれたレールを着実に歩く”。そんな感じだった。

高校生になった時に、父が急死。一種の“燃え尽き症候群”に陥ってしまった。

そんな生活もいきなり変わる。高校生になった時に、父が亡くなった。急死という言葉があるように本当にいきなり亡くなった。1週間学校を休み、母がうつになったこと以外はいつも通りの日常に戻った(?)「大丈夫?」という心配する人の声掛けはあったものの、それ以外は本当に普通の日常。父が死んだことで悲劇のヒロインになるなんてもちろん思ってなかったし、望んでもいなかったけれども、それでも普通すぎる学校生活。今思い起こしても何だか違和感だった。だからといって過剰に心配する人達にも当時違和感はあったのだが・・・。母が悲しんでいる様子を見ると、「妹もまだ中学生だし、私が2人を守らなくちゃ!」といった気持ちが湧いてきた。しかし、当時15才の小娘が何をどう守るのかわかっていない上に、“父の敷かれたレールを着実に歩く”ことしかしていなかった私は一種の“燃え尽き症候群”に陥ってしまった。

自分で決めた最初の大きな決断。髪を30cm切って身も心も軽くなった気がした

そんな新しい生活から何ヶ月か経った頃、鏡を見て思った。「髪の毛短くしたいなぁー」それを母と妹に言うと、かなり驚いていた。髪を切る直前まで2人は「本当にするの?」とちょっと反対していたが、私の決意は揺るがなかった。ポニーテールプラス三つ編みのいわゆる“ラーメンマン”みたいな髪型から肩上ぐらいのショートに。30cmぐらいばっさりといったのだ。母も妹もぎゃあぎゃあ言っていたが、何日かかけて慣れてもらった。クラスのみんなも最初は失恋したと思ったらしい。30cm切った私は身も心も軽くなった気がした。

今の私の気分で髪型を決めている原点はこの日である。この日の決断が私の自分で決めた最初の大きな決断だったのではないのかなと今は感じる。それまでにも理系に選択したこと、父の死の1ヶ月後にホームステイにやっぱり参加すると決めたことなどあったが、それも“父に敷かれたレール”だったように私は思う。
三つ編みを使った髪型を自分でチャレンジしてみたり(母譲りなのか、何だか様になっている)、ショートにしてみたり。大したことではないんだけれども“自分で決めた”髪型を信じて毎日を過ごす。かなり大げさだが、ショートカットを決めたあの日は、ただただ何も考えずに過ごしてきた子どもが、自分で決めたちょっとした決断にドキドキする大人に成長した瞬間だったのかもしれない。