わたしには、髪の毛の知識が全くない。
髪の毛を編み込んだり、おだんごにしたり、アイロンを使って髪の毛を巻いたり、伸ばしたり。髪の毛を魔法のように扱う人たちを尊敬する。カチューシャや、バレッタを使いこなす姿にも。
かわいいな、すてきだなと眺めながらも、一切、それに挑戦しようとしないわたし。
人生ってそういうことばかりだなと思う。
やってみたいけど、自分で選択してやっていないだけ。そんなことの連続。その中で、わたしがやっていることもまた、他人からすると、すてきで、すごいことをやっているのかもしれない。
「カラー、ちぐはぐっすよ」 ムッとしたのに通い続けてもう3年
今、通っている美容院とは、もう3年の付き合いになる。
はじめての来店。オーナーのMさんは、わたしの髪の毛を触り、「もしかして髪の毛自分でカラーしてます?チグハグっすよ」とか、「お客さんは前下がりのボブですね!(うんたらかんたら)」。ボブという言葉は知っていたが、前下がりとか後ろ下がりとかそんなに種類があったことにも驚いたが、それよりも何だか失礼な態度なオーナーに「ムッ」としたことが、この店との出会いである。
「ムッ」としたことにも関わらず、わたしは再び来店をし、今月も来店の予約をしている。
それまでは「いい感じ」と曖昧にしか言えなくて、苦手だった美容室
わたしは、美容院に何を求めているか。
正直、美容院という空間はどちらかと言うと苦手だ。
髪の毛の知識が無いわたしは、「今日はどんな感じにしますか?」と言われても、「肩くらいまで切ってください」とか、カラーをするにしても、沢山の種類の色見本を見せられても、「いい感じので!」と曖昧にしか答えられない。パーマも、ナチュラルパーマとかなんとかパーマとか、よく分からない。
自分のことなのに、まるっきり人任せにしか発言することが出来ないことからはじまり、一向に盛り上がらないのに一生懸命話しかけてくれる会話のサービスに、そっと目を瞑る。
終わりは、後ろ姿に鏡をあてて、「どうですか?」と、後ろの髪のチェックに同意を求められ、「あ、いい感じです!ありがとうございます!」という。こうなりたいという意志がないままなので、「何がいい感じなのか」誰も分からない返答をして、店を後にする。
共に「なりたいわたし」を作ってくれるオーナーに出会って気付いた
今通っている美容院は、わたしにどんなものを与えてくれているのか。
わたしの通う美容院は、場としての心地が良い。それは、オレンジのやさしい照明とかビンテージのソファ、置いてある雑誌や書籍、流れる音楽。さりげなくドライフラワーが空間を彩ってくれている。
そして、ざっくばらんに会話してくれるオーナーとの相性が良かった。
「ちょっと失礼な人だな。」という第一印象を持ったオーナーとは今や仲良しだ。
「今日はどんな感じにしますか?」という苦手な質問に、わたしは、「モテそうな感じで!」とか、「ラブリー元気!勇気!みたいな感じで!」と、何とも抽象的な返答をする。
そこから、そのキーワードをもとに対話を重ねながら、「今日のわたしのなりたい」を二人で作っていく。
そこで思う。美容院って、もちろん、任せっきりの場でもあるが、「なりたい自分」を一緒に作り上げる場であること。
そして、憂鬱な気分をガツンと変えてくれる場であること。
自分の機嫌は自分でとる わたしにとって美容室はそんな場所のひとつ
気づけば1年くらい美容院に行っていない、前髪くらいなら自分で切る。そんなことがザラだったわたしが、今や、ショートカットであるにも関わらず、2か月に1回ペースで美容院に通っている。
それは、髪の毛の知識が豊富になり、ヘアアレンジが得意になったから、美容に興味を持ち始めたからか。
そうではない。
洗髪してもらう、前髪を切ってもらう、ヘッドスパをしてもらうなど、誰よりも髪の毛に関する知識と経験が豊富な人に、丁寧に髪の毛を扱ってもらうことで、自分を労わっている。
そして、前髪にちょっとパーマをあててみるだけで、全体の雰囲気が変わったり、ヘアオイルをつけると良い香りに包まれるという、髪の毛にフォーカスをあてた気分が上がる方法を教えてもらえるからだ。
自分の機嫌は自分でとろう。良い気分でいるには?
笑う門には福来る方式で、にこにこ、自分の心持ちをなんとか上げることも大切だけど、たまにはプロの力やアイテムに頼ってみる。
自分が心地よいと感じる場所に身を置いてみる。
そういうこともいいよね!って思う。
そこは、決して高級ラグジュアリーな場所や、滝が流れる大自然だけじゃなくて、「なりたい」を叶えてくれる「美容室」という場をわたしは見つけた。
わたしが通う美容室。わたしの町にいてくれてありがとう!