コンビニ行って、部屋着で寮の食卓に集合。私と彼女の長い夜が始まる

「今、寮にいる?アイス食べたいなと思ってさ、一緒にコンビニ行かない?」
「え、行く!」
「じゃあ5分後、キッチンに居るね」

夜11時頃、この短いお決まりのやりとりをして、たいてい私が2分ぐらい遅れてキッチンで落ち合う。わざわざ着替えるでもなく、大学名のロゴがお尻に黄色で入っている寮のスウェットを履いたまま、自転車で近くのコンビニへ向かう。
アイスが食べたかったはずなのに、コンビニスイーツにも惹かれてしまって、しっかり悩んでからSuicaでお支払い。帰りは、大学の門を越えるとiPhoneで音楽を流しながら、寮までの長い長い滑走路を自転車でゆっくり駆け抜ける。郊外ということもあり、いつだって星が綺麗だった。
「じゃあ荷物置いたらキッチン行くね」
一旦上着や財布を各々の部屋に置きに帰り、またキッチンの食卓で落ち合う。そうして、夜更けに始まる私と彼女の長い夜が始まる。終電なんて気にせずに、部屋着で好きなだけ過ごせるのが、寮生活の醍醐味だ。

思い出が詰まった寮生活を語る上で欠かせない、彼女との雑談タイム

私の大学生活は、その8割に寮生活の思い出が詰まっていると言っても過言ではない。寮生の大きなイベントよりも、寮「生活」の中の些細な日常。
そのほとんどを共にしたのが、同期の彼女だ。私たちは二人とも元気でよく喋る。故に、どちらかの話をじっくり聞いたり相談したりする時以外は、たいてい結構なスピードで話が進むしあちこちに飛ぶ。
昨日作ったごはんの話、高校の部活の思い出、バイト先に来た面白いお客さんのエピソードから、今日の授業で扱った内容や社会問題、授業中の議論の中で生徒から出た意見について、そして小さい頃のお母さんの教えまで。どの話からどこに繋がって今のトピックに辿り着いたかなんて、二人ともほとんど把握していない。
「本当にお互いの話ちゃんと聞いているの?」と聞かれることがあるけれど、二人とも正直4割ぐらいしか聞いてないよねって笑いながら答える。喋りたいことを喋りたいだけ喋るのが私たちのスタイルだ。そして、このマシンガントークが私は本当に大好きで、この夜更けの雑談タイムの思い出無しでは私の寮生活は語れない。

何でも話せる彼女とだから作れた愛おしい時間は、大切な思い出

私が彼女になんでも話したくなる理由は、何を話しても相談しても、どういう決断や選択をしても、私を否定しない存在で居てくれることを知っているからだ。
相手の反応を気にしなくて良いのは、想像以上にストレスフリーだ。もちろん意見はくれるが、その中で私の考えや気持ち、人格を否定されたことは一度もない。
そう確信を持てる人は、見渡してみると意外と貴重な存在だったりする。「あなたが決めたことならきっと大丈夫」を含んだ彼女の「いいんじゃない?」に、何度背中を押されただろう。

特になんのオチもなく、明日には忘れているようなどうでもいいことで笑い合っている時ほど愛おしい時間は無いのかもしれない。そして、そんなちょっとした話を「話したい!」「聞きたい!」と思える人が居ることを考えると、ぐわっと心臓から全身に血が巡るような、幸せという感情になる。
この感情が心の瓶に溜まっていく時、そう感じられている自分の存在さえも愛おしく感じることが出来るような気がするのだ。

去年の三月に二人とも退寮して、いつまでも続くと思っていた彼女との寮生活は終わってしまった。打ちっ放しコンクリートの壁が冷たいあのキッチンで朝までだらだら喋りながら、「今日も明けちゃったね」って笑うことはもう出来ないけれど、私には、永遠に消えない彼女と過ごした日常色のとびっきりの思い出がある。

彼女とのLINEのトーク画面では、今も彼女の口癖がアナウンス留めしてある。
「さち!あい!らぶ!」