カエルのぺぺって、ご存知ですか。今の私のあだ名です。
ぷっくり眠たげ二重、分厚い唇。「今」のわたしはそんな顔で、生きています。

計4回もの二重整形手術を繰り返した私のまぶた

初めての美容整形手術は、高校卒業直後のことでした。重たくのしかかった一重まぶたを、切開し二重にしました。パンパンに腫れ上がり内出血したまぶたを毎日写真に撮っては、前日と見比べ「昨日よりも腫れが引いたかも」と一喜一憂したことを、今でもよく覚えています。

私のまぶたは人より分厚くかつ目を開く力が弱いようで、なかなかきれいな二重ラインができませんでした。結果、計4回もの二重整形手術を繰り返し、「今」の顔のまま生活をして2年が経とうとしています。何度も手術を繰り返したせいか、前の手術痕が癒着してしまい、私の目元は誰が見ても<いかにも>な形をしていると思います。

前の職場で入社早々、仲良くなったばかりの先輩に「目、やったでしょ?」そう聞かれました。自覚はあっても人から言われるたび、少しずつ心が硬くなってきました。友達が旅行先で撮ってくれた写真たち。お参りした神社やお土産よりも気になるのは、そこに写っている自分のまぶたでした。

一生、自分の見た目に満足することはないと気づいてしまった

私は人の視線、意見に左右され顔を変えてきたんでしょうか。そう考えると自分が少し怖くなってしまいます。ですが実は、誰よりも私の外見にNOを示し厳しい視線を向けていたのは、鏡を見つめる私自身だったのかも知れません。そしてその私という鬼のような審査員は一体何を求めていたのかというと、外見だけではなく中身も含めた「私」そのものを好きになれることだったんでしょう。

今、もうこれ以上手術をする気はありません。勿論お金の問題もありますが、自分で気づいてしまったんです。自分が一生自分の見た目に満足することはないということに。その考えが、私の中での‘気持ちの終着点’なのだと思います。あるいはもう、心のどこかで‘このくらいでいいや’とある程度満足しているのかもしれません。それは外見だけでなく、24年かけて見つけたり気づいたりした、自分の内面も含めて「認めている」ことなのかもしれない、そう思うようになってきました。

二重にしない人生を歩ませてあげたい、なんて思ったりする

そうしたら突然、あれほど見るのが嫌だった過去の写真を引っ張り出し眺めては、あのころ分厚いまぶたに悩んでいた「過去の私」に会いたいと、そう思うようになってきたんです。整形手術をした今の私を後悔しているわけではないのです。ただなんとなく、毎日鏡に向かってため息をついていたあの頃の私に会って、「二重にしなくても、あなたは結構可愛いよ」そう言ってあげたい、そう言って、二重にしない人生を歩ませてあげたい、そんな世界線を覗いてみたいだなんだなんて、そう思ったりします。

一重まぶたの私、さようなら。二度とあなたには会えないけれど、あなたはそのままで、とっても素敵でした。どうか、私の記憶の中でお元気で。

二重まぶたの私より。