今の私にとって、”ふつう”じゃないは褒め言葉だ。でも、高校生までの私はずっと”ふつう”と言われたかった。

”ふつう“の場所から、コンテンツのように私を見るのはやめてくれ

”ふつう“じゃないから小学校、中学校、高校の12年間で常に浮いていた。社会人になった今でも、社会に馴染んでいないと感じる。この前は、職場の先輩に「仲の良い同期はいるの」と心配された。

”ふつう“の人たちは、私のことを”面白い“と褒めてくる。好意的なつもりで言っているとは分かっていても、昔の私はいちいち傷ついた。私は何もウケを狙って行動しているわけでは
ない。”ふつう“という場所から、まるでコンテンツのように、私を見るのはやめてくれ。居心地が悪すぎて、ジタバタともがく私を”面白い”なんて失礼すぎる。大抵、そんな”ふつう“の人たちは、悪意のない言葉を装いながら、”私たちとは違う人”という意識をこちらに向けてくる。 

“ふつう”になれない人の行き着く先はどこなのか。中学1年生の最初の半年間、私は階段を下りきった地下のスぺ―スで、お昼の弁当を食べていた。地下には窓もなく、薄暗い中、冷たい床に直接座っていた。どの女子のグループにも、”ふつう”じゃない私の居場所はなかった。”ふつう”じゃないことを嫌い、メインストリームを行くスクールカースト上位の人たち、運動部に所属し内輪のルールで動く人たち、部員以外寄せ付けない吹奏楽部の人たち、アニメの話ばかりをするその他文化部の人たちという風にクラスのグループは分かれていた。

自分だけは弁当を食べる友人すら見つけられないことがみじめで

私はクラスで一番足が遅く、楽器も吹けず、アニメもまるで見ていなかった。他のみんなはパズルのピースのようにはまっていくのに、自分だけは弁当を食べる友人すら見つけられないことがみじめだった。中学校にはスクールカウンセラーが常駐しており、私が”ふつう”じゃないことを報告しに行く女子もいた。空気を読まない奴がいるというようなことを、言っていたらしい。スクールカウンセラーは数人で部屋に押し掛けてくる様子を見て何か察したようで、報告があった後も私には何も聞かなかった。

地下弁当クラブには当初、もう一人別のクラスの友人がいた。なんでもはっきり言ってしまう友人も、同じく”ふつう“じゃない人だった。しかし、彼女はすぐに地上の世界に呼ばれていった。”メスゴリラ“というあだ名を手に入れて、お笑い担当としてクラスに召喚されたのだ。”ふつう”じゃないけれど、笑いものにはなりたくない私にとってそれは絶望だった。”面白い”と言われるために、道化を演じなければ”ふつう”じゃない私たちには、この世界に居場所がないのではないか、そう考えていた。

12年間の学生生活を経ていつの間にか知っていたのは、”外の世界に私の居場所はない”ことだ。学生時代の人間関係はあまりにも流動的で、場当たり的だった。次のクラスになれば顔を合わせなくなり、”メスゴリラ”と呼ばれた友人とは、彼女が地下を脱出してから、ほとんど口をきいたことがない。

物語の世界は私を豊かに包み込み、他人の目を削ぎ落とせた

私の居場所は、”物語の世界”だった。中学1年生の時、自分の書いた小説が審査を通過し、約1週間泊まり込みの文学教室に参加することができた。小説家や中高の国語の先生が文学について、朝から晩まで講義してくれた。中学1年生は私一人で、周りは高校生ばかりだったから、まるで馴染めなかった。それでも、物語の世界は私を豊かに包み込み、他人の目を削ぎ落していった。私は読むことと書くことが大好きで、それは”ふつう“という場所からでも、誰にも奪うことはできない。その迷いのない気持ちこそが私の居場所だった。何かを好きになると、特別な能力がなくたって自信が湧いてくる。そうして私は地上の世界の端っこで、友人とでも、一人でも関係なく、机の上で弁当を食べられるようになった。

よくよく考えてみると、私の今までの話に”ふつう“の人は出てこなかった。スクールカースト上位であることも、運動部ということも、演奏ができることも、アニメが好きなことも、何一つ”ふつう“じゃない。ただ、誰もが”ふつう”じゃない人だとしても、”ふつう“という場所にいて、私のような人間を笑うことが、彼女たちを”ふつう”にしている。

”ふつう”であることが、いつから偉くなったのだろうか。人間を”ふつう”と形容することが、既に矛盾している。誰一人全く同じ顔で、全く同じ考え方の人はいないのだから、”ふつう”という言葉は無効だ。Twitterで悪口をバラまいたり、いじりと言いながらいじめをする人に呼びかけたい。”ふつう“という場所から、早く出ておいで。”ふつう“という場所にも、あなたの居場所はない。あなた一人でこの世界に立つことからしか、居場所は見つからないのだから。