私は高校1年生の春、うつ病と診断された。
目の前が暗転するのを経験したのは、あのときが初めてだったと思う。
「私は、ふつうじゃないんだ」。人前をはばからず泣いてしまう自分に対し、いつしかそう思うようになった。
それから、その呪縛は私にずっと付きまとうことになる。

「ふつうになること」を渇望する自分は、いつも嘘臭かった

通信制高校に転校してからは、ふつうの高校に通っている高校生を見ては落ち込んだ。大学に進学してからも、病気ではない他のふつうの大学生に敗北感を感じた。私の頭は、ふつうの人が優れていて、そうでない自分は劣っているのだという考えで覆われていたのだ。

そして、いつしか「ふつうになること」が目標になっていった。私は、周囲のだれにも病気のことを打ち明けなかったし、具合が悪いときも必死で隠した。ふつうになりたかったからだ。そのせいで、自分にまとう雰囲気はいつも嘘臭くて、うすっぺらな人間関係しか築けずにいた。ふつうを求めれば求めるほど、同時にうつの症状も強まっていった。

主治医の言葉で、「ふつう」という幻想に気付かされた

そんなある日、「ふつうになりたい、なれなくて苦しい」と主治医に胸中を明かしたら、こう返された。

「ふつうって何ですか」

私は、すこし面食らった。ふつうって何だろう。自分では、健康体で、順調な人生を歩む人々のことを指しているつもりだった。でも、主治医の問いかけによって、それは幻想のようにゆらいで見えた。

人々のなかに、「ふつう」の人物像は確かに存在する。それでも、その像にぴったり当てはまる人なんて、いないのかもしれない。いまは当てはまっていても、病気や失業などによって途中で外れる人だっている。

そんなものを目標にしていたのか、と私はしばらくあっけにとられた。見えていなかったものが見えた瞬間だった。

憧れという呪縛から解き放たれて、「ふつう」を超えたとき

しかし、私のふつうに憧れる気持ちがなくなったかというとそうでもなかった。やっぱり、きちんと就職はしたいし、結婚もしてみたい。就職活動してみたり、婚活パーティーに行ってみたりと、いろいろと実行に移すこともあった。

だが、面白いことに、どれもすべて失敗に終わった。どうやら私は、就職にも結婚にも、あまり適性がなかったようである。

そうして気付いたのは、「ふつう」じゃなくていいということだ。開き直ったように聞こえるかもしれないが、そう気付いたとき、自分の世界に立ち込めていた霧が晴れていくみたいだった。ふつうの呪縛からようやく解き放たれて、私は「ふつう」を超えたのだ。

今の私はというと、大学卒業後フリーランスのライターとして細々と暮らしている。うつ病もまだ完全には治っていない。そんな私は、ふつうじゃないかもしれないけれど、以前に比べて心はずっと自由だ。

ふつうになりたいという、あなたに問いたい。ふつうって何ですか。ふつうになったら、幸せになれそうですか。色々な答えを教えていただけたら、幸いである。