社会人6年目。
大学を卒業して数年経つと、学生時代の友人は会えるひと、会えないひとでぱっかりと分かれる。

なにも知らなかった。のほほんとしていた自分に腹が立った

未婚で子どものいない私は、既婚で子どもがいる友人とは会いづらくなってきた。
話す内容というか、友人に聞いてほしい悩みがまるっきり違うからだ。
恋愛に失敗して泣いている私は、子育ての大変さに共感してあげられない。

私には学生時代から仲の良い友人がふたりいる。
高校と大学でそれぞれ一緒だった。

コロナが少し落ち着いてきた秋頃、そんなふたりとあまり期間をあけず、会うことになった。

9月の暑さがまだまだ続くなか、大学の友人といつものように烏龍茶で焼き肉を食べていた。彼女はふと自身の抱える病気を話し始めた。

薬を飲んでいるから、お酒を飲めないこと。
体調がわるいとき、仕事を休まなければいけないほどになること。

なにも知らなかった。
お酒が好きな私は、『一杯くらい付き合ってくれたらいいのに』とさえ思ったことがあった。なにも気づかず、のほほんとしていた自分に腹が立った。

本当に苦しいことは誰かに簡単に言えないことなんだとわかった

その1ヶ月後のハロウィン直前、高校の友人と職場近くで昼食をとった。
親が重い病気であることを打ち明けてくれた。今年からは自宅介護もしていたと言う。

なにも知らなかった。
「旅行にいけなくてしんどい。どこかに行って現実逃避したい」と自粛期間中、何回もLINEで伝えていた。
現実逃避したいほど辛い悩みもない私が、どこかに行きたくても行けない辛さを抱えた友人に対して。
この数年のあいだ、彼女と会うときは必ずランチだったことに気がついた。

本当に苦しいことは誰かに簡単に言えないことなんだとわかった。
そういえば私も祖父が亡くなったとき、すぐには誰にも伝えなかった。
言葉にすると気持ちが溢れて泣いてしまいそうだった。

抱えていた気持ちを彼女たちは数年かけて伝えてくれた。
きっと伝えられる側の気持ちを察して、気持ちの整理がついた、いま話してくれたのだろう。

でも話されたとき、どうしていいかわからなかった。
友人がいちばん大変だったときに気づけず、何もできていなかったことがただただ悲しかった。
「大変だったね。何も知らなくてごめんね」。それしか言えなかった。
なにもしてあげられない、力になれない。
そんな悶々とした日々が続くなか、大学の友人からアフタヌーンティーに行こうと誘うLINEがきた。

会うのがしんどくないと思える存在として、自分がいれてよかった

すごくすごく嬉しかった。また会いたいと思ってくれたことに。
自分にとって大事なひとが大変なとき、余裕がないとき、
会うのがしんどくないと思えるような存在として、自分がいれてよかった。
悲しい気持ちになったけど、自分が肯定された気がしてなんだか元気がでてきた。

飛び上がるほど嬉しいことも、
這い上がれないほどの悲しいことも
これからきっとたくさんある。
どれだけ時間がかかっても、「あのときしんどかったんだよね」とそれぞれの思いを言葉にしよう。思いに寄り添い、ただ受け止める。それしかできないとしても。

すっかり寒くなり、雪が舞うクリスマス前の12月。
私は彼女の家へ、マリカーをしにゆく。

こういうふうにして、私たちはきっと生きてゆく。