私には付き合ってはいないけれど、仲のいい彼がいる。
実は、彼とは1年半付き合ったのちに別れたものの、それから半年たった今でも、ある一時期を除いてだが、週に一度は会っているという関係だ。
私は社会人1年目、彼は大学4年生。ということで「まだ将来のことは分からない」「他の人も見てみる必要がある」そんな話をして一度別れたのであった。
互いに割とビビリであり、リスクヘッジをしたがる種類の人間なのだ。
「セフレ」と言われる関係なのかもしれないが、私はいまだに彼のことをほとんど家族のように思っている。

彼と別れたのち、一度3歳年上のベンチャー企業を経営する男性と付き合った。
これまであまり軽い気持ちで付き合ったことがなかった私は、「大人になったのだから」と、元カレと別れた理由も考えて、思い切って新しい世界に踏み込んでみたのだ。
おしゃれなレストランで誕生日を祝ってもらったのち、おしゃれなバーで「付き合って欲しい」と言われて流れるように付き合った。

彼は頭がよくて気が回るし、デートのプランを考えるのも上手。彼からすると雀の涙ほどのお給料しかもらっていない私に、彼は食事などほとんどをおごってくれた。家にはワインセラーがあり、料理が好きで低温調理器を使ってディナーをふるまってくれたこともあった。

エーリッヒ・フロムを読み返さなきゃと考えた彼との結末

けれど、すぐに違和感を覚え始める。
私が何かを教えてあげると「あーはいはいはい、なるほどなるほど」。
私が歌のうまさを褒めると、街中でも歌い出す。
極めつけに部屋があまりにも汚すぎる。料理を作るのはいいけれど、それを1週間テーブルに放置して悪臭を放っているほどだった。
少しずつフラストレーションがたまっていたところ、ふと彼の家のベッドの下に目をやると、ふたつ並んだカラーコンタクトが出てきた。あ、終わりだ。
部屋の汚い彼のことだから、昔の彼女や遊んだ人という可能性も大いにあるが、もうなんだかもう気が抜けてしまった。
彼はまったく私のことなんて愛してくれていなかったのだろう。アクセサリー感覚だったのだと思う。

でも、わたしもそこまで悲しくなかった。「そっか」という感じ。
私が愛していないのだから、彼も愛してくれないに決まっている。
ほしいほしいばかりを考えていた罰が当たったのだろう。
ふとエーリッヒフロムの「愛するということ」を読み直す必要がありそうだと考えていた。

一緒に食べようとみかんを持って来てくれた元カレ

――ピンポーン
経営者の彼と別れたあと、大学4年生の元カレが家にやってきた。
1か月ぶりくらいに会うので少し緊張し、勝手に彼氏を作って一方的に「もう会えない」と言っていたためにかなりの申し訳なさを感じていたのだが、
「はい、これ」
彼がリュックからなにかを取り出す。見てみるとそれはみかん。しかも4つ。
「一緒に食べよ。どうせくだもの買ってないでしょ」

私は学生のころ、くだものが大好きではあるものの、ひとり暮らしの学生が買うには贅沢なものだと我慢している節があった。でも、今は社会人だ。ひとり分の、それも大好きなくだものを買うくらいの余裕はある。
思わず口元がにやけて彼に飛びつく。
なんてかわいいんだろう。大好きだなあ。
「でも、昨日スーパーでひと袋買っちゃったよ」
「えー、タイミング悪かったなぁ、でもみかんまるごとひと口で食べちゃうしいいやん」
私の関西弁が少し移っている、そのかわいい語尾にキュンとする。「よっしゃ、ぜんぶ食べちゃお!」

暖房器具はエアコンのみ。通気口から流れる冷たい空気と闘いながら、学生時代にニトリで購入した座椅子で肩を並べ、ユニクロの毛布にくるまりながらぬくぬくとテレビやYouTubeを観る。じゃれ合って、たまにお互いの写真を撮って、適当に食材を詰め込んだ鍋を囲んでみかんを食べて……。

これが私の幸せだ。
「大人になったのだから」なんて驕りだったと思う。

素直な気持ちに従っていれば愛はそばにいてくれるのかもしれない

いまも元カレとは付き合ってはいないけれど、はじめに付き合ってから2年が経った今でも会うたびに毎回うきうきできる。自然と「大好き!」と口からこぼれる。

今回のクリスマスは急遽当日に会うことになったから、彼から特にプレゼントは貰わなかったけれど、私は社会人1年目ではじめてもらったボーナスで、彼にラルフローレンの質のいいマフラーをプレゼントした。この人にはどれだけでも何でもしてあげたいと思うのだ。

「愛するということ」を読み直さなくても、素直な気持ちに従っていれば愛はそばにいてくれるのかもしれない。すごく単純なものだと思った。