「うわー、やばいやばい」
一ヶ月と少し前のある日、母が言った。やばい、と口では言うものの、特別取り乱している様子ではなかったので、私も驚かなかった。
なんでもかんでも「やばい」の一言で片付けるという芸当を身に付けた中高校生のような感じ。母はアラカンである。
それにしても、やばいやばいって、何がさ。母の手には、すでに開封された白い封筒があった。
「いやー、本当にやばいわー」
何がやばいって、血圧とコレステロール値がやばい、らしい。

封筒の中身は、健康診断の結果が書かれた診断書だった。
健康診断も身体測定も、今やとんと関わりがない私なので、そこに示された数値の深刻さは全く分からず、隣に示されている標準値と見比べるくらいしか出来ない。診断書に目を落とす母からも、あまり深刻さは感じられなかった。
しかし、診断結果を受けての母の真剣な決意、そして、たった二つの数字が示す「ヤバさ」に、自分が巻き込まれるまで気付かなかったので、おそらく私の目は節穴だ。

その日から始まった、母の目まぐるしい努力の日々

その日から、もしかしたら生まれて始めて見るかもしれない、母の、目まぐるしい努力の日々が始まった。
まず母は、食事から変えた。鶏卵や脂っこいものや、お菓子などの甘いものを避け、魚や、大豆製品をよく食べるようになった。食卓には、豆腐や納豆、青魚、そして雑穀米が並んだ。紙パックの豆乳も、冷蔵庫に常備されるようになった。
健康のため改善された食事は、とくに嫌いな食べ物もなく、私も母に倣って粛々と食べた。私は、こうやって一から変えていかないと下がらないものなんだな、コレステロール値って、とのんきに考えていた。

次に運動。母は、土日にウォーキングをするようになった。そして、それに私を誘うのである。私も私で、休日はだいたい暇を持て余しているので、母のウォーキングに付き合うようになっていった。
元々インストールされているものの、一度も開いたことがなかった健康管理アプリを設定し、スマートフォン一台で満杯になるような、こじんまりとしたサイズのサコッシュを購入した。母に借りた薄手のジャンパーを着て、小さなサコッシュを斜め掛けにする。マスクはもちろん、忘れてはいけない。

車で移動が当たり前だった道のりを二人でのんびり歩く

アプリ的には、一日6000歩が目標で、8000歩までいけば言うことなしらしい。
母と並んで、時折一列になって、歩く。なんとなく目的地を決めて、毎回出来るだけ違う道を歩いていくのは、なんとも言えない、不思議な気分だった。こうして、二人で歩いた記憶が、あんまりないからだろうか。
暮らしているのが田舎なもので、どこへ行くにも、車での移動が基本だった。母が運転する車の助手席に座るのと、今、二人でのんびり歩くのとでは、だいぶ感覚が違う。
距離感もそうだけれど、一番はたぶん、解放感があること。
こんな風に、親子でウォーキングだなんて、今まで考えられなかった。私がこうやって母に付き合えるくらいの暇さ加減でよかったな、と思った。

もちろん母からすれば、私のようにのんきに食事を取ったり、のほほんと歩いている場合ではなく、数値という結果に反映されなければ意味がない。
食事の改善と適度な運動。更に母は、いわゆるかかりつけ医を作った。そして、病院でしか中々見ないような、がっつり上腕で測るタイプの血圧計を買った。私も一度だけ測ってみたけれど、標準より低かった。

ちょっとだけ豪勢になる夕食を楽しみに、母と一緒に歩こう

決意をして、意識して、継続して一ヶ月。母は明日、また病院に行く。
一ヶ月でどうにかなるものなのだろうか。門外漢には分からない。だけど、この一ヶ月、母の努力を、一番近くで見てきたという自負はある。
こんな風に、親の努力を目の当たりにする経験って、中々ない。新鮮だ。あ、親も人間なんだなって、当たり前の事実に、改めて気付く。
なので、母の血圧とコレステロール値、くれぐれもよろしくお願いします。お祈り先が間違っているような気もするけれど、今から私に出来ることなんてこれくらいである。

数値がヤバくない、良い感じになっていたら、昼食はずっと気になっていたレストラン、夕食も、ちょっとだけ豪勢になる約束。
そしてまた、継続するであろうウォーキングに出来得る限り付き合って、母と一緒に歩こうと、ひそかに決めている私である。