2020年12月30日、めちゃめちゃデカい月だった。
その日、私は「社会人1年目の社員(私)は、職場の方々に年賀状を送るべきか否か」という問題で散々悩んでいた。12月30日という超年の瀬になってから悩むような問題ではないということは重々承知の上である。
結局年賀状は送らないことに決めたものの、(私が"社会のルール"を知らないだけで、職場の方々に年賀状を出さないことって、実は大変失礼なことかもしれない)(私以外の全員から年賀状が来たらどうしよう)等々、勝手に作りあげた"もしも"を考え、悶々としながら夜の散歩をしていた。
一見くだらないが、当の本人からしてみれば今後の職場内の人間関係に関わる大問題なのである(そこまで言うなら年賀状ぐらい出しなよ、という声、シッカリと聞こえています)。
月を通して神々が私たちをモニタリング…憂鬱な気分で止まらない想像
そんな心境のなか、2020年最後の満月を見て、私は「どうせこれも月とかじゃなくて、神の世界からモニタリングされてんだろうな」と思った。
普段なら「わ~!月が綺麗~!」という凡な感想しか思い浮かばなかっただろうが、なんせこの日の私は憂鬱なのである。物事をネガティブな方に考えてしまうムーブが止まらない。
紺色の夜空に光る満月が、なぜかそのときの私には、神の世界から光が差し込む、まあるい覗き穴のように見えたのだった。
今私がいるのは実はスノードームのように閉ざされた世界で、神様が私たちの生活をたまにその穴から覗きながら、私たちの日々のドタバタ劇やこっぱずかしい瞬間をアテにしっぽり酒でも飲んでいるのではないか?
神々が仲良く一定の距離をとって(神もソーシャルディスタンス)、ドキュメンタリー番組かのように私たちの日常を楽しんでいるのでは?
半月とか三日月とかあるけど、あれって神様がちょうど穴を覗いていて、塞がったところからたまたま漏れ出た光なのかもしれない。だとしたら新月ってめちゃめちゃ怖くないですか?覗き穴を全部塞いでしまうほど神がガン見ということになるし。
神視点で振り返ってみたら、自分が愛おしく思えてくる
やだな、私が風呂上がりに何の脈絡もなくボイパの練習を始めているところとか、退勤後、多分暗闇に紛れているだろうという安心感から、アメリカンドッグの串周辺のガリガリの衣の部分をものすごい形相で削りとりながら食べているところとか、全部見られてんのかな。
職場で大食いキャラがついているせいで、先輩とご飯に行ったら絶対におかわりしなければならない、みたいな変なプライドが邪魔をして、死にかけながらおかわりした白米かっ込んでる姿とか、退勤電車で絶対に吊り革を触りたくなくて、マヂカルラブリーの野田クリスタルもビックリの動きをしながら電車に揺られているところとか…。
世界にはウン十億人の人間がいるのに、私しか見ていないような私専属の神はいないと願いたい。専属モデルもビックリの専属度合いですよね、そんなの。
だけど、神視点で私自身のことを振り返っていたら、なかなか自分が愛おしく思えてきた。もしかして私って、めちゃくちゃ愛すべきおバカなのではないか?
神様は私の日常を見ながら、どこかで応援してくれているのかも…。
ネガティブから生まれたポジティブが愉快な気持ちにしてくれる
私は急に元気になってきた。ネガティブな感情から抜け出すコツというのは、自分を客観的に捉えて、目線を内側ではなく外側に向けることなのかもしれない。
図らずともネガティブから生まれた妄想が、ネガティブスパイラルになりそうな私を救ってくれた。ネガティブから生まれたポジティブ!
神様がアクリルパーテーション越しに一列で酒飲みながら、私を応援してくれている姿を想像したら、なんだかものすごく愉快になってきた。アハハ~!もう年賀状どうでもいいや!
2020年12月30日、私は溢れている光を眺め、その先にいるかもしれない神様のことを思った。そして少しだけマスクを外し、冬の空気を肺一杯に吸い込んで、家路を急いだのだった。