結婚はしたい。と思うが、形の“結婚”はいらない。
私は今年27の歳だ。2020年は、結婚や付き合う事、恋愛に関して、とても焦りを感じていた。“私、このままだと、良い人と結婚出来ない!!!”と。
27歳はもうギリギリくらいだよ!の言葉達に、焦りを隠し切れず
周りから呪文の様に、“良い人は早いうちにどんどん結婚していって、30代過ぎると、売れ残りか、バツイチ、何か問題がある様な人しかいないよ! 27歳はもうギリギリくらいだよ!”と、内心そんな筈ないでしょ!と思う一方で、そんな言葉達に、私は心の焦りを隠し切れずにいた。
とにかく行動しなきゃ、積極的に行かなきゃ!と躍起になった。彼氏欲しいです。と周りにアピールし、マッチングアプリもスタート!比較的自由な職場だった事もあり、上司の企画で、某人気番組の“バチェ○ー・ジャパン”みたいな事もした。笑 流石に、もうお嫁に行けないかも。と思うくらいに、逆の焦りを感じた。笑
そもそも、焦りを感じた所で、誰かと付き合える訳ではないのに、ハイエナの如くギラギラした眼差しで男性を吟味していた様に思う。今思うと、本当に怖い。笑 こんな女性をパートナーにしたいと思う方が、そもそも難しいのかもしれない。
本当に好きなら悩む必要ないのに、自分の感情に悩んでしまう
自分で言うのも何だがモテない訳ではなかった。しかし、3年程彼氏もいなく、好きになった相手とも、好きになられた相手とも、何となく上手くいかず…。
“長く付き合っていない&結婚”を意識すると、“好き”という感情が分からなくなり、自分の感情に対して、合っているのか間違っているのか、と悩んで、悩んで判断しようとする。本当に好きならそこで悩む必要ないはず。悩んでいるという事は、好きではない。という事は明確だった。
惰性で誰かと付き合えるほど、私は器用ではなかった。20代前半は、付き合う事に対して、重さは特になかった様に思う。でもこれまでの経験や、周りの結婚観を聞いている内に、結婚=義務の様に感じ、とにかく“結婚しなければ!”と、結婚という形を求めていて、結婚に対するハードルがとても高くなっていた。
形ばかりに囚われて、“結婚”という本質を見失っていた。まだ27歳
だけど、ある時にハッとした。
“私は焦りを感じ結婚相手を見つけなきゃ!と思っていたが、心は“まだしたくない”と思っていた。それは誰でも良い訳じゃない。“結婚”がしたい訳ではなく、私はちゃんと好きで、将来共に寄り添い合うパートナーが欲しいんだ!“と。それが結果的に結婚相手になるのだと。
自分の本心に気づき、まず焦る事を辞めよう。自分自身が大好きな自分を、目指そうと思った。形ばかりに囚われて、“結婚”という本質を見失っていた。
まだ27歳、もう27歳。結婚は誰が決めるものでもなく、自分自身が決めるものだ。と心に強く誓った一年だった。