私は、新しい世界や新しい価値観に触れることで、自分の中でまだ知らない感情が生まれるのを感じるのが好きです。正確に言うと、好きになりました。

傷だらけになりながら手探りで探した、それぞれの環境の価値観

私は小さいころ、父親の仕事の都合で何度か転校を経験しました。日本国内で大都会と田舎を行き来して、そのたびにたくさんの変化に適応しなければいけませんでした。都会で「女と男は平等」という教育の下、男子贔屓、女子贔屓がない中で鍛えられたのち、引っ越した先の地方で「男勝りな女子は怖い」と言われて戸惑った時の自分の感情は今でも鮮明に記憶に残っています。
環境が違うと「いい子」「悪い子」の基準も違う。自分がどうあるべきか、環境が変わるたびに考えて、生身で飛び込んで、手探りでその環境の見えないルールを探して、その過程でたくさん傷つきながら成長してきました。「あなたはどんな環境でも生きていけそうね」という評価を得られるようになっても、自分にとっては、環境が変わって、自分がまだ出会ったことがない新しい価値観に自分を揺さぶられるのは怖いことでした。

一冊の本との出合い むさぼるように読んだけどモヤモヤは消えない

でも、ある時千早茜さんの『男ともだち』という一冊の本に出会い、考え方が変わりました。その小説に書かれている登場人物たちは、恋人でも友人でも家族でもなく、うまく説明できない関係性でつながっていました。読んでいて、気持ち悪さやもどかしさを感じつつも、その作品に没頭してしまい、一晩で最後まで読み切りました。読み終わっても、ずっともやもやした感情が残り、本を読んでいてこんな感情になるのは初めてだったので、自分のこの感情をどう処理したらいいのかわかりませんでした。そんな折、その作者がトークショーをするという話を耳にし、作者の考え方に触れることで、自分が小説に対して抱いた感情も処理できるようになるのではと思い参加しました。

そのトークショーでは、その作者も私と同じように幼少期激しい環境変化の中で育ったことが語られました。そして、「今まですぐには咀嚼できないような感情にたくさん出会ったが、そういう時は、どうしてそういう感情になったのか、言語化できるまで自分と向き合ってきた。その経験が執筆に生きている」ということをおっしゃっていました。

新しい感情を前にしたとき、掌ですくいあげるのは相手じゃなく自分

新しい感情に出会った時に、その感情をもたらした相手ではなく、自分が感じたことを大事にするというのが当時の私には衝撃的でした。
そういう目線で見ると、自分が知らない世界が、密林でうっそうとしていて、入ったら生きるか死ぬかのような殺伐とした世界ではなく、色とりどりの宝石の原石を発掘するような、可能性に満ちた世界に見えるようになりました。
今までに出会ったことがない新しい感情に出会うと、「なんでそう思ったのか」を考えて、その感情を自分なりに解釈し吸収して、新しい自分らしさを彩っている実感を得られるようになりました。

今、世の中は大きい変化の渦にあると思われていますが、私からすると生まれてから変化がない年なんてなかった。これからもまだ名前のついていない感情を求めて、そんな目くるめく変わる世界に飛び込んでいきます。