混ざっているものが好き
色が混ざり合う虹が好き。グラデーションが好き。
音が混ざり合う合唱が好き。吹奏楽が好き。オーストラが好き。
声と音が混ざり合うミュージカルが好き。
人が混ざり合うコミュニティが好き。

好きなものを1つに選べなかった幼少期。
好きな色は?好きな食べ物は?と聞かれて、1つに絞れる周りの子がうらやましかった。
小学校では毎年誕生日の度に、その質問をされて校内放送で流された。
水色もピンクも好きだけど、どっちが好きかは選べない。じゃあ混ぜた色の「うすむらさき」が好きって言っておこう。
カレーとか餃子とかいちごとか、みんなが好きなものはそりゃ好きだけど、そんなの個性なくない?と子供ながらに思っていた。じゃあ個性も出しつつ、いちごも梨も含まれる「果物」って答えておこう。

そう思って、知らない間に、混ざっている状態を心地よく感じていた。

1つにしなくてもいいと気づいた学生時代

大学生になって初めて「多様性」という言葉と、その有用性について学んだ。
そもそも「みんな同じ」である必要なんてないのだ。
違う親から生まれて、違う家庭で育って、違うものを食べて、違う教育を受けてきた。
違うからといって混ざれないなんてことはない。違うからといって排除する時代ではないのだ。

混ざり合うからこそ生まれるものがある。これまで考えたこともなかった視点からのアドバイスや、経験談、自分1人じゃできなかったと思わされる経験を大学ではたくさんさせてもらった。

思い返してみれば、私の好きな虹やグラデーションは色が混ざっているし、合唱や合奏は音が混ざり合っている。
吹奏楽は中高時代に私が最も力を入れて取り組んだことでもあるが、1つ1つの楽器が出す音色は全く違うのだ。それが合わさること、しかも全てが主張しすぎるのではなく、各音色の役割を果たし、お互いを際立たせることで成り立つ音楽である。
そんなところに魅力を感じて合奏にのめり込んでいった。

また歌と音が混ざることもある。ミュージカルがその例だ。
歌とその前後の演奏に、ストーリが込められている。また舞台というのは色も光も混ざり合っている。まさに混ざりの権化。
最初はその鮮やかさやスケールに圧倒される。
慣れてくれば、楽しみかたも混ざり合う。全体像を楽しんだ後は詳細を楽しめる。
どの楽器が目立っているのかな、どんな歌声なのかな、と耳を澄ませる。
どんなメイクなのかな、どんな衣装なんだろう、どんな大道具なのかな、どんな小道具が使われてこの形になっているのかな、と目を凝らす。
混ざるって面白い。

混ざることで生まれるものは無限大

そして人が混ざり合う、それがコミュニティ。
家族も、ご近所も、学校も、1つ1つのコミュニティ。
色んな人がいて、色んなコミュニケーションが生まれる。
周りの人がいるからこそ思いついたこと、行動できたことがあって、その連鎖がコミュニティには発生している。
人というのはさらに”もの”とは違って、より色んな形、大きさ、色、肌触り、声、匂い、動きを持っている。どんな種類も「混ざる」こと大歓迎。
全ての特徴が素敵で、唯一無二。
混ざることで生まれるものは無限大。ひとつに絞る必要なんてやっぱりないんだ。

そうか、混ざり合うというのは全て同じ量じゃなくてもいいんだ。ただ、混ざらないのと混ざるのでは大きく違う、そんなパワーが「混ざる」という行為にあると感じる。
この「混ざっているものが好き」というのが、私の感性だ。