これじゃあ、まるで母親に呪われているみたいだと本心で思った。
母親とお金で揉めて縁を切ってから1年と少し。私の心は常にアンバランスで、母親に捨てられた自分と、母親を求める自分とがせめぎ合っている。
母親に愛されていたかった。骨髄まで母親に愛されて、愛されて、無償の愛を感じ取りたかった。これ以上は縁を切る、とただ母親を試しかっただけではなく、心身ともに疲労した私の言葉に「私は、貴方を引き留めることは出来ない性格だから。貴方が決めて」と、返したあの一言は私を惨めにさせたし、母親にとって私の存在のちっぽけさを痛感させた。
縁を切っても親は親。子としてまた親を愛したい。だけど…
けれど今でも、母親を愛したい自分がしっかりと心に根を張って存在している。
私が辛い時に寄り添ってくれた母親も、私と一緒に泣いてくれた母親も、私の中ではしっかりとまだ息をしていて、だから私は母親のことを大好きだし、かけがえのない人だと思っている。本当は、母親に謝ってまた仲の良い親子に戻りたい。
けれど、それは私をまた心身ともに疲労させることだと、なによりも自分自身が一番よくわかっていた。
母親と最後に遊びに行ったのは、去年のクリスマス前だ。2人で水族館に遊びに行った。母親とは頻繁に2人で遊びに行っていて、母親はいつだってお金がなくて、その日の入場券は誕生日プレゼントの代わりだと私が購入した。
その日の写真は、連絡先を消してもLINEをブロックしても、私の写真フォルダの中に未だに居て、私は時々それを消そうと思うのだけれど、そればかりはどうしても、酒の勢いでも消すことは出来ずにいる。
母親からの愛を全面に受けられると思っていた。縁を切るまでは
母親は私のことを愛してくれていたと思う。
愛の形は人それぞれで、子育てが壊滅的に下手くそな人間だってこの世にはいるのだ。じゃなければ、ネグレクトなんて言葉はこの世界に蔓延していない。母は本当に私のことを愛していた。けれど、かけるお金がなく、そのお金の為に働きに出て、私にかける手間も疲労でなくした。私の求める愛を母親から注がれることはなかったけれど、母親は母親なりに精一杯の愛情を私に注いだのだと思う。
だから、私は23歳の縁を切ったあの日まで、ずっと財布から無言でお金を抜かれることも、母親に返ってこないとわかっていないがらお金を貸すことも、なんの苦でもなかった。
そうすれば、母親は母親なりに私のことを愛してくれていると、信じていたから。
子どもと関わる仕事をしていると、両手を伸ばして「ママ」と仕事に行く母親との別れを泣いて惜しむ子どもの姿を頻繁に目にする。母親の行動は様々で、あっさりと仕事に行く母親もいれば泣きながら別れる母親もいる。どの母親も、その心の底では子どもの求める一緒にいたい、という欲求に応えられないことに対して罪悪感を抱いているのだろうか。
子どものいない私は預かった子どもを抱っこしてあやしながら、自分の母親に一瞬だけ想いを馳せてみたりもするが、私の求めている答えは私が母親になるまで見つからないだろう。いや、きっと母親になっても私と私の母親は別の人間なので見つからないと知っている。
知りたいけど聞けない。複雑な愛の正体に翻弄される
今でも夢に母親が出てくる。私はゲームをしていて、隣に寝転んで「なにやってるのさ」と笑う。
前歯が数本ない私の母親を、私は心から愛していた。母親も私のことを愛してくれていたと思うけれど、私の求める愛情を注げなかったことに後悔や罪悪感はあるのだろうか。私からお金を貪り食ったことをどう思っているのだろう。私はきっと、母親が死ぬまでこの問いを自問自答し続けるだろうし、きっと死んでからは母親と縁を切ったことを後悔する。
私は出勤前の時間によく母親を思い出す。そして、連絡をとりたいと本心で思うけれど、連絡先はもう電話帳にもLINEにもない。本気で連絡を取ろうと思えば、私は母親の暮す家の合鍵を持っているし、母親と別居している父親と連絡もとれるからその術はあるけれど、考えないようにしながらコートを羽織る。
本心だけで喋るのであれば、あの時は傷つけてごめんなさいと謝りたい。元気にやっていますと伝えたい。けれど、それをしたら最後、私はきっとまた心身ともに疲労し、1年で貯えたちっぽけな貯金が底につくことを知っていて、私は諦めて仕事へ行く。