今年の目標は、「趣味を見つける」。
小さな目標に見えるが、無趣味な私にとっては重要な目標だ。
初対面の相手との会話、プロフ欄、趣味を語る機会は意外と多い。
趣味を尋ねられたとき、ぱっと思いつかなくて流れる沈黙。
何回も味わい、何回も申し訳なさを感じた。
ぽっかり空いた時間は、趣味を見つけるにはピッタリだった
自分は無趣味だと考える人は増えていると思う。
適当に空いた時間、今は娯楽ですぐ潰せる。
私がよくしてしまうのは、SNS。
Twitter、Instagram、Twitter、Instagram…気が付けば永遠とループしている。
その時間に映画を見ればそれを趣味にできるのに、YouTubeを流し見して、けど流し見だから内容を正確に覚えてなくて、趣味にできない。
インターネットを知らない小学生のころは、その時間に本を読んだり、絵を描いたりしていて、そのおかげで読書や絵を描くことを趣味だと名乗っていた。
2020年、「おうち時間」という言葉があっという間に定着した。
学校はない、友達と遊べない、買い物以外出かけられない。
ぽっかり空いた時間は、趣味を見つけるにはピッタリだった。
ここぞとばかり、趣味を探した。
まず、映画鑑賞。もともと入っていたサブスクを活用して、週に最低一本、映画を見ようとした。
しかし、だんだん長時間集中できなくなっていって、いつの間にか止めてしまった。
次に、料理。普段は作らない少し凝った料理を作ってみようとした。
しかし、自分しか食べないのにという気持ちがふと湧きあがり、面倒でやめてしまった。
あれこれ試してみたものの、趣味は見つからなかった。
なかなか、趣味って、難しい。
定期的に、高クオリティで、積極的に、関わっていなければ
無趣味な私だが、好きなことはいくつかある。趣味になれそうな、趣味候補たち。
文字を書くこと、本を読むこと、アニメやマンガ、アナログゲームも興味がある。
けれど、気が向いたときにふっと書いてみた小説たちは未完成作品ばかりだし、去年自発的に読んだ本の冊数は両手で足りそうだし、ほとんどグッズは持ってないし、アナログゲームをプレイしたことはあまりない。
つまり、どれも世間一般的な「趣味」に当てはめるにはレベルが低すぎるのだ。
そもそも、何かを「趣味」と名乗るハードルは高い。
少なくとも私はそう思っている。
「趣味」という肩書を得るには、定期的に、高クオリティで、積極的に、それに関わっていなければいけない。
お菓子作りが趣味ならば材料を揃えて作らなければいけない。
カフェ巡りが趣味ならば休みの日はカフェに行って写真を撮らなければいけない。
映画鑑賞が趣味ならばサブスクに入るなり、映画館に行くなりしなければいけない。
そんな数々の「~しなければいけない」。
それが「趣味」に含まれているような気がしてしまう。
それを義務と感じず、進んでできるようにならなければ趣味とは名乗れない。
つまり、私が持つ趣味候補たちは、趣味ではない。
好きな気持ちがあれば、私の趣味候補たちは趣味と名乗っていいのでは
けど、自分が楽しんでいたら、それって趣味じゃないのかと思う。
世間は趣味に求めすぎている。趣味ってそんなに大したものでなくていい。
自分を救ってくれたら、自分の疲れた心の支えになったら、自分が趣味だと思ったら、それは趣味だ。
大切なのは、それに対する「好き」って気持ちがあること。
頻度でも、クオリティでも、積極性でもない。
好きの気持ちがない趣味は、それこそ義務じゃないだろうか?
じゃあ、気が向いたときにしかしなくても、クオリティが高くなくても、好きな気持ちを持っていれば、私の趣味候補たちは趣味と名乗っていいのではないか。
そうなら、私は趣味をもう見つけられている。
けれど、私は「趣味を見つける」という目標を取り下げるつもりはない。
私はまだ自分の趣味候補たちを趣味に格上げできないのだ。
きっと、まだ世間の趣味ハードルを無視できていないから。
いつか、いや、2021年に、趣味ハードルを越えなくてもいい、マイペースに楽しんで、私の趣味候補たちを「これが私の趣味だ!」と堂々と胸を張って宣言したい。
趣味候補たちへの好きの気持ちを大切にしながら。