生涯暮らせるだけの恩恵がふってきたとして、私は何をして暮らすだろうか。大した趣味もないし、得意なこともない。何をやるかと考えると、1日の時間はつぶれないにしても、日記を書くのではないかと思う。

2020年は、誰もがご存知の通り、新型コロナウイルスのパンデミックが起きた。世界中でほぼ同時多発的に流行し、アマゾンの奥地から私のお口まで、どこもかしこもが危険と隣り合わせになった。だけど、「さて2020年を振り返ってみましょうか」と言われても、「2020年は大変な年でしたね」という一言でまとめられる。なんだかそれが私には惜しい気がした。ネット記事を読み漁り、感染者数の数字に一喜一憂して、SNS上で他人のことばかりを気にするのではなく、自分の日常に宿る心の動きまで覚えていたかった。

コロナの情報よりも自分を一番に考えたい気持ちと出会えた

そんな気持ちが生まれたのは、2020年に病気になったことがきっかけだったように思う。きっかけは8月。3ヶ月以上生理が来ておらず、もしや妊娠か?と思い、冷や汗をたらしながら、マスク、トイレットペーパー、生理用品が売り切れている閑散としたドラッグストアに妊娠検査薬を買いに向かった。帰宅してからトイレに直行し、指定通り検査薬に尿をかけ、便器に座ったまま妊娠検査薬の窓を凝視した。

この待ち時間の緊張感は強烈だった。結果は、陰性。結局、生理が止まっている原因がわからず数日後に婦人科に行った。名前を呼ばれて問診票の内容を質問され、その後「診察をしてみましょう」と言われる。何度経験しても慣れない婦人科の椅子と対面し下着を脱いで座り、目の前にある下半身を仕切ったカーテン越しに、触診と棒のようなカメラで検査された。

結果は、まさかの要精密検査。医師によると「卵巣の片方が腫れているため、大きな病院で良性か悪性か診てもらってください」とのことだった。不安な気持ちのまま、あれよこれよと精密検査を受けると『子宮内膜症による卵巣嚢腫』と診断され、はじめての手術と入院を経験した。術後のリハビリや経過検診を受けながら毎日を過ごしていると、月日はあっと間に11月となっていた。

上半期に他人のことばかりに目を光らせていたら、下半期には「私という女のからだ」のことばかりを考える日々が訪れ、2020年はもう終わうとしていた。自分のことを一番に考えたい気持ちと出会えた年の暮れだった。

ーーー”宣誓!2021年の私は、日記を書くことをここに宣言します!”

こうも溢れんばかりの出来事が2020年に起きたため、日々を感じながら感情を整理するためにも、2021年には日記をつけることにした。日記にはもちろん、明確なルールはない。パソコンに綴ってもいいし、ノートに書いてもいい。言葉だけで表せられないならイラストを描いてもいいし、文字数に制限もない。もしも、その日に何も出来事が無かったとしたら、何もなかったと書けばいい。とにかくルールはなく、続けることを大事にしたい。

すでに年が明けてから1週間ごとに日記を書いているのだけれど、書き終わって見返すと「1週間、私は生きていた」という実感が湧いてくる。日々の何気ないことを記し続けることで、生存確認をしているような気持ちがしてくるのだった。なかば日記の内容がやっつけになっていても、自分のことだからだろう、ダメなポイントまでもが愛らしい。その時には死にたいほど嫌いだった部分だって愛らしくなってくる。

これが私の日記を書きたい理由なのかもしれない。もしも生涯暮らせるだけの恩恵がふってきたとしても、自分が在ればそれでいいのだから。