2021年1月8日の朝、なんとなく朝の情報番組「あさイチ」を見ている際にとても印象的なシーンがあった。番組の終了間際、アナウンサーが「最後に、今年はどんな年にしていきたいですか?」と共演者に尋ねると、お笑い芸人のいとうあさこさんが即答し、「今年の目標は『生きる!』と決めております。今年も生きま~す」と笑顔で答えていた。私はなんて素敵な目標なんだ、それが一番大事ではないかと心を打たれた。いとうあさこさんの模倣にはなってしまうが、私は今年の目標、そして「2021私の宣言」として「今年も生きる!」にすることにした。
友人と沖縄旅行に出かけていた矢先、日常が様変わりした
2020年を振り返ってみると、「思っていた2020年ではなかった」というのが率直な感想だ。東京ではオリンピックが開催され希望と興奮であふれていたであろう一年。私は大学二年生になり、将来のこと、就職活動はひとまず置いておいて今年は遊びまくろうと考えていた。しかし2020年3月、世界的に大流行中のコロナウイルス感染症が私たちの時代最大の公衆衛生上の緊急事態となりつつあった。一体何が起きているのか、コロナウイルスとは何なのか。とても現実的な話とは程遠く、私は友人と沖縄旅行に出かけていた。
そんな矢先、私だけでなく日本国民全員に一気にコロナウイルスの恐ろしさを印象付けたのは「3月29日、志村けんさん死去」ではないか。志村けんさんのコロナウイルス感染が明らかになってからは毎日のように現在の状態が情報番組で放送されていたが、この事態を軽視していた私は数か月後にはきっとケロっとした姿でメディアに復帰すると本気で信じていた。日本の大スターを失った我々は一気にことの深刻さを重んじたように、緊急事態宣言が出され、街は静かになった。学校も慣れないオンライン授業になり、飲食でアルバイトしている私はシフトを削られるはめになった。友人との遊ぶ予定も全部キャンセルになり、何もない毎日、何もすればいいのかわからなかった。皆がこの一年間で悲しい思い、寂しい思い、悔しい思い、たくさんの辛い出来事を経験したのではないか。しかし、家にいなければいけない日々の中で自分と見つめあうことに時間を費やすことができたと思う。
家族、友人、恋人…。改めて実感する、自分の大切なもの
まず家族の有難みを深く実感した年だった。私は生まれてからずっと実家に暮らしているのだが、大学に入ってからはアルバイトや友達付き合いなどで外食することが多く、まともに家で食事をしていなかったように思う。2020年4月の緊急事態宣言が発令されてから現在に至るまで、ほとんどの夕食を家族と共にしているが、ご飯を毎日作ってくれること、仕事をしながら家族全員が穏やかに過ごせるためにしてくれている全てのことがどれほど有難いか、両親の偉大さを実感した。
そして友人や恋人、会いたい人に中々会えない中で夜な夜な長電話をしたり、オンライン飲み会など新しいことに挑戦しながらも自分の大切な人を大切だと改めて認識することができた。
これ以上悲しい思いはしたくないし、人が悲しむ姿を見たくない
逆に、コロナを言い訳に一緒にいるとしっくりこない友達や、時間の無駄だと感じるよくわからない付き合いなどを断捨離できたのも私の生活の質を上げてくれたように思う。また、家にいることが多くなったことで今まで忙しくて読むことができなかった本をたくさん読むことができた。多くのことばに触れ、人の考え方、いろいろな価値観をインプットできたのも2020年で得た最高の学びではないか。
またもや緊急事態宣言が発令された今、2021年はなんとしてでも生きてやろうと思っている。そして家族、友人、周りの大切な人も絶対に生かそう。もうこれ以上悲しい思いはしたくないし、人が悲しむ姿を見たくない。距離があっても声を掛け合い、お互いを支え合うために一人一人のコミュニケーションを大切にすることを心がけたい。そのうちワクチンが日本にも渡り、復興はゆっくりだが進んでいくと信じている。元通りに戻るまでに時間はかかるが、これを機に自分と見つめあうことができたことを忘れずに、今日も明日も生きていきたいと思う。