新しい年を迎えると、自分まで新しくなった気持ちになってわくわくするものだ。
そう思っていた。
しかし2021年の始まりはちょっと様子が違っていて、新しくなれた気がしなかった。
原因として新型コロナ感染の収束が目に見えなかったということがあるにしろ、そんなもので私が新しくなるのを止められたくはない。
結局夢を追いかけられている私は幸せ者だと思う。けど、ふと思った
だから私は、2021年に向かって宣言する。
新しくなれた気はしないけれど、1年かけて新しくなる、と。
私は幼い頃文筆家になりたかった。特に小説家。小説はその場にいるのにいろいろな世界に私を連れて行ってくれた。私も私の作る世界に人を招待したかった。
将来の夢、作家。小学校の頃に書かされた将来の夢は全てそれで埋め尽くされている。
それなのに小学校6年生の時に村上龍の「13歳のハローワーク」を見て、「文筆家に最初からなるのもいいけど色々経験してからの方が色々書ける」というような内容が書かれてるのを読み、後回しにした。
そして今現在はというと、中学生の頃に描いた研究者になりたいという夢を追いかけて大学院に入り、研究生活をしているところだ。
結局夢を追いかけられている私は幸せ者だと思う。
でも、大学院生になって、コロナ禍における年度始めの自粛期間で実験もできなくなってふと思ったことがある。
「私、文章はいつになったら書くの?」
#小見出し
ろくに最後まで書き切ったことがなかったからこそ、大きな経験に
2020年────つまり昨年、私はその一歩を踏み出した。
かがみよかがみのエッセイ投稿。しかもそれを掲載してもらえて、他の人にその文章を読んでもらえた。
それまで私は文章を書いてもろくに最後まで書き切ったことがなかった。今まで書き切ったことがあるのは、小学校の作文くらい。
だからこそ、この経験は大きかった。
文章を書き切るという経験。
自分の文章を掲載してもらえるという経験。
掲載してもらえるかどうかの緊張感と文章の推敲。
一歩立ち止まって自分の内面を見つめ直すという経験。
テーマから考えることで、今までにない角度で物事を考えられた、その経験。
おそらくもっと多くの経験がその一つの経験に詰まっていた。
とてつもなく大きなものを貰えました。
この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございます。
今ここで書くのをやめたら、踏み出した私はどうなるんだろう
さて、この経験を踏まえて私は2021年は文章を書く年にしたいと思う。
私にとって2021年は修士論文を書く年にも、博士課程に行く準備をする年にもなる。
実験量も増えれば他の雑多な用事も増えることになるだろう。
今までの私であれば、「忙しくなるからこれが終わったら書こう」となっていたはず。
でも今ここで書くのをやめたら2020年踏み出した私は、いつ書くのかと自問自答した私はどうなるんだろう。
忙しいから書けない、じゃない。やることがあるから書けない、じゃない。
スマホがある今の時代、文章はいつでも、いくらでも書ける。
書きたいから書く。
この気持ちで私は2021年、書き続けたいと思う。
そうして少しずつ新しい自分になって、2021年の終わりには完全に今の私よりもアップデートされた私で、年の暮れを迎えたいと思う。