幼い頃から言葉が好きだった。特に目的もなく国語辞典を見ているのが好きな子どもだった。文章を読むことも好きで、学校では国語の教科書を端から端までずっと読んでいるような、そんな子どもだった。

実行には移せず。才能の無さに向き合うことが、一番怖かった

元々、文章を書くのは決して得意とは言えなかったが、書くこと自体はとても好きだった。何を書きたいのか、何を伝えたいのか。客観的に思考をまとめて、伝えたい感情や感覚を的確に表せる語彙を探す。比喩を使ってみたりもする。その作業は難しくはあるけれどそれ以上に楽しい。書いているのは間違いなく私一人なのに、まるでブレーン担当の私とライティング担当の私で対話をしているようだ。

学生時代、この楽しさに気づいてしまった私は、おこがましくも「文を綴る仕事をしてみたい」と思うようになった。だが、思っただけで、実行には移せなかった。
怖かったのだ。安定思考の家族にはきっと馬鹿にされ、反対されるだろうと思うと怖かった。一般企業への就職を決めていく友人たちの流れから逸脱するのが怖かった。そして何より、自分の技量の拙さ、言ってしまえば才能の無さに向き合わなければいけないことが、一番怖かった。
結局私は一般企業に入社して、総合職としてバリバリ働くこととなった。慣れない仕事に振り回される日々の中で、かつての夢はいつの間にか頭から消え去ってしまっていた。

うつ病で休職。ふと、書くことが好きだった自分を思い出したのだ

再びこの夢を思い出したのは、異動した先での人間関係が原因でうつ病になり、休職しなければならなくなった時だった。
毎晩薬を飲んでどうにか眠りにつき、お昼前にやっと起床。大して食べたくもないご飯を食べて、仕事にも行かず、部屋の中で膝を抱えて日が暮れるのを待つ。そんな日々を繰り返していたら、自分は何もできない、何の価値もない人間なのではないかと思えてならなかった。
不意に「死にたい」と思う頻度が日々増えていく。このままでは駄目だ。何かを変えたい。そう思って自分の人生を振り返った時に、ふと、書くことが好きだった自分を思い出したのだ。
「本当にやりたかったことをしながら生きていきたい」と強く思った。すると「死にたい」と思う回数はすぐに減っていった。我ながら単純だと思う。

相変わらず臆病なので、文を書くことにはまだ二の足を踏んでいる

現在はすっかり体調も良くなり、転職を経て普通に働くことができている。だが、私は相変わらず臆病なままなので、文を書くことに関してはまだ二の足を踏んでいるのが現状である。
だから、今度こそ。今年こそ、本当にやりたかったことをしながら生きていくために、一歩踏み出すために、私は決意表明としてこの文章を書いている。
私はきっと、何の価値もない人間ではない。自分の可能性に賭けてみたい。私にしか書けないものがあると信じて、書く。これが私の、「2021私の宣言」だ。