スーツで働く男と付き合ったことがない。
売れないバンドマン、役者の卵、食費より服代優先のアパレル店員。ご縁があるのはそういう夢追い人ばかりだった。
わたし自身、自分の夢や趣味を優先できる仕事ばかりで食いつないできたため、いわゆるザ・OLとして会社勤めをしたことが無いのがその要因だと自覚している。
サラリーマン、公務員、ビジネスマンとの恋愛は、わたしにとって未開拓の境地である。
30歳を目前にした女と、夢追い人との恋愛というものは周囲にまあ想定通りの忠告をされる。
金銭面や将来性の心配をされて、でも重視したいのは性格だから!といくら言っても伝わることは少ない。
あんたの彼は稼いでて良いねってわたしが言ったら、でも選んだ理由は人柄だよって言ってたじゃん。
スーツ男子への偏見のおかげで一日を通して捗る妄想
かなり安直だが、スーツ男子にはいわゆる大人の魅力を投影してしまう。
日中は緊張感ある仕事に挑み、消耗し切らない程度に一日をこなし帰宅、食後にはゲームを堪能して、明日に備えて早めに寝る。
休日はアクティブと思いきや意外と気怠いモードで過ごし、すぐ日曜の夜を迎え、また一週間をしっかりこなす。
夜勤明け、朝のゴミ出しに間に合わず散らかる部屋で夕方まで眠る、過去に見てきた人たちのようなあの不安定な生活とは無縁なんだろうな。
「スーツの仕事は生活まで律するのだ」という偏見ぶり。その偏見のせいで、オフィス街でも地元でもスーツ男子を見かけると、必要以上にわくわく、ざわざわしてしまう。
正確に言えば、「律するとはギャップのあるシーン」を見かけた時。
ランチタイム、定食屋に行くと思しき、30歳前後のスーツ4人組。横断歩道まで向かうことを横着し、近道になる高めの柵を飛び越え始めた。でも、その中の1人がつまづいて3人にからかわれている。学生かよ。可愛い。
夕方、宝くじ売り場に並ぶ、新卒ぐらいに見えるスーツ。ギャンブル性を強く感じたい、自分に目一杯の投資が許される楽しい時期かな。まだ小物や色味に遊びがなくて真面目そうだけど、当落結果に一喜一憂したり、声を荒げたりするんだろうか。
夜、自販機の灯りをたよりに一服する渋めのスーツ。今日一日を思い浮かべて、きっと誰かの待つ、煙を持ち込みたくない大切な帰る場所があるから、今そこで吐き切ってるんだろうなあ。
一日を通して妄想が捗る。
スーツのストレスから解放された背中を向けられてみたい
スーツ男子は、たとえこちらが何も与えなくても、視界に入れば潤いを運んでくれる。辞書で "潤い" と調べると、「金銭的な余裕、精神的ゆとり、情趣、恩恵、……」とある。まさに歩く潤いである。
もしわたしがスーツ男子に対してリアルなものさしをひとつでも手に入れてしまったら、このくだらない幸せな妄想は止まってしまうんだろう。これ以上近づかないほうが、ずっとわくわくしていられることは間違いない。「きれいなものは遠くにあるからきれいなの」ってSuperflyも言ってたし。
でもひとつだけ知りたい。
わたしの遍歴の統計から、ベッドで向けられた背中に寂しくなる恋愛はいつだって間違っているという持論がある。ちゃんと愛されていたら、寂しくないものです。
安定して稼いで、平日の緊張も休日の退屈も知ってる恋愛、どうなんだろう。スーツのストレスから解放された背中、向けられてみたい。