ユニバーサルスタジオジャパンに行ったことがある方ならわかるであろう。ジュラシックパークのアトラクション。あの醍醐味。

段々と登り、きっとこの後、恐竜が出て、ものすごく爽快な感覚が得られるのであろう、そんな期待。
そしてその快感が訪れるまでの精巧なストーリー展開。ワクワクし続けるはずの時間。

でもあれは、あの冒頭のストーリーは、他のアトラクションに比べると少し長くて単調だ。最初こそ小さなことではしゃいでいても次第に飽和する。心の準備を十分にしたからこそ、この後に待ち受けるはずの快感が次第に恐怖に変わるのだ。
私の心臓はその衝撃に耐えられるのだろうか。突然トイレに行きたくなる。水が飲みたくなる。
あれこそ結婚に向けた心のざわつきそのものだと、最近思う。

29歳独身。結婚ラッシュも終わり人生もはや賢者モード

私は今年29歳になる。29歳独身。結婚ラッシュさえも終わってしまった。もはや賢者モードなのだと思う。これからの人生のことを余生と呼んで自虐している。

33歳で父と結婚した母は、まだ若いから大丈夫よ、いつかは結婚できるからと私を見て笑う。でもそんなことは結局、〝既婚の友達〟だから、言えるのである。たとえ、自分の母親であっても。

このエッセイを書くにあたり、自分が殴り書きした携帯のメモを見つけた。3年前、26歳の時に、私はまるで若い自分に対する遺書のようなものを書いていた。

〝周りが結婚出産ラッシュに入ったここ2年ほどは、毎日がユニバーサルスタジオジャパンのジュラシックパークの、あの登ってくところみたいな感覚です。

この先何があるんだろうというワクワク感と、ゾクゾクする恐怖心。そしてもう途中で降りられないという圧迫感。

この圧迫感が一番重い。

この人生にワクワクしていたけど、最近途方もなくて疲れてきた

わたしの人生は正しかったのでしょうか?
学校は?仕事は?交友関係は?家族関係は?顔はこれでいい?スタイルは?髪型は?お金の使い方は?時間の使い方は?

そう思うとぞわぞわするのに、今さらこの人生から降りることはできない。
最初はワクワクしていたのに、最近はこの時間がいつまで続くんだろと思うと途方もなくて疲れてしまいました。

合ってるのか間違えてるのかわからないけれど、どこから直したらいいのかもわからないけれど、毎日があまりにも速すぎて、一方通行で止まれなくて、全然気持ちがついていかないのです。

みんななんでこんなスピードについていけるのでしょう。どうして前だけ向いて進めるのでしょうか?
でも一瞬でも立ち止まったら失ってしまう。
要るもの要らないものの取捨選択も出来てないのに失ってしまうのはたまらなく怖い。

いつかは死んでしまうのに、なんでこんなにたくさん人生にはコンテンツがあるんでしょうか。〟

ジュラシックパークの最後は結局、大きな恐竜に襲われかけて途方もない高さから落下する。最高時速は80キロ。内臓は跳ね上がり、私はいつだって声も出さずに息を殺して目を閉じる。落ちている時間はものすごく長い。永遠にも思えたその恐怖は着地した瞬間の水しぶきの快感にかき消されて、全てが〝楽しい〟という感情に安易にまとめられてしまう。

絶叫マシンで感じる快感のように、不安の後は結婚があると思っていた

26歳の私には結婚したいと思うほど愛した恋人がいた。でも彼はそうではなかった。私は必死に外堀を固めた。彼の理想のお嫁さんになれるように時に自分を押し殺した。精巧な計算をして自分の人生のストーリーを描いた。
こんな不安や苦痛こそが、ジュラシックパークの冒頭の、ストーリー部分だと思っていたし、落下した水しぶきの快感はまさに結婚そのものだと思っていた。

もしかすると結婚において、落下した水しぶきは、家族のために一日を、一生を終えて、一人でほっと一息つけた瞬間なのかもしれない。最近ふとそんな風に思う。

人生は結婚して終わりではない。そこからの方がうんと不安で苦痛で飽和で、時に単調だ。

結局、結婚に固執する限りずっと、いや、生きていく限りずっと、ジュラシックパークは続いていくのだと、どこにも快感のゴールはないのだと、そんな風に考えてはまた、私は必死に安全バーにしがみついて生きていく。