蒸し暑く眠れない6月の夜、LINEの友達を上から順にぼんやり眺めていた。
この人は誰だっけ?アイコンの写真を見ても、表示されている名前を見ても思い出せない。トークを開いてもやり取りの痕跡はなく途方に暮れる。
そんなことを繰り返しながら、なんとなく目にした名前に違和感を覚える。

中学生の頃、仲が良かったMちゃんの名字が変わっていた。

結婚の報告がない=嫌われた?

私は今28歳だ。
平成27年の人口動態統計によれば女性の平均初婚年齢は29.4歳。
周りに結婚し始める人がいても統計的にも不思議ではない年齢に、いつの間にか私もなっていた。
だからMちゃんが結婚していても特別めずらしいことではない。

なのに私の心はどうしようもなくざわついた。
Mちゃんが結婚したかもしれないのを、LINEの表示名が変わったことで知った事実にたまらなく動揺したからだ。
「仲が良かったはずなのに、どうして報告してもらえなかったのだろう」
名字が変わっていたのに気付いた時、私は真っ先にそう思った。
そして勝手に傷付き、勝手に友情を無下にされたと思い込み、どうしようもなく落ち込んだ。
自分のざわついた心を放置することが出来ず、Mちゃんに「名字が変わっていたからもしかして……おめでとう?かな」とLINEを送った。
その日は返信がなく、心配と後悔とやるせなさで胃がキリキリと痛んだ。
「いきなりあんなメッセージは失礼だったかもしれない」
「Mちゃんに気まずい思いをさせているのかも」
「もしかして嫌われたんじゃないか」
頭の中の不安が言葉になって私を襲った。けれど送ってしまったものを取り消す勇気もなく、ひたすら痛みを耐え忍んだ。

返事は来たのに残ったもやもや。本当はMちゃんから教えてほしかった

次の日の夜、Mちゃんから返信がきた。
「去年結婚したんだ。ありがとう」
そのあと今どこに住んでいる?仕事は順調?なんて当たり障りのないメッセージをし、最後に体調に気を付けてとスタンプのコンボで1年半振りのMちゃんとの会話はあっけなく終わった。
私は結婚のことを教えてほしかった、LINEの名字が変わったことで知ったのは少し寂しかったと正直に言えずじまいだった。
結婚したかどうかの真相を確かめられたのに、わだかまりは重たく残った。

私とMちゃんは同じ価値観を持っている……わけがない!

数日経ち、この時の出来事を同世代の人たちに話してみた。
モヤモヤする、という気持ちは共感を得たが、モヤモヤの種類が人によって違った。

「結婚がわざわざ報告するようなことではない」
「今のコミュニティが違うし、疎遠になってしまったから言うのも気が引ける」
「式や披露宴に呼ばないのだから報告もしなくていいだろう」

一通り話し終えると、ある人に「どうして結婚したことを言われなかったと思う?」と尋ねられた。
その時になって初めて、私はMちゃんの気持ちを考えようともしていなかったのだと気が付いた。

私にとって結婚はライフイベントの中でも重要なものだ。
だから大切な人にも報告したい、知らせるべきもので、それは私が大切に思っている人たちも同じ気持ち・考えに違いないと思い込んでいた。
私はMちゃんが自分とは違う人間で、結婚に対する価値観やスタンスが違うかもしれない、それどころか違って当然であることをすっかり忘れていた。

名字が変わっても、Mちゃんは私の大切な人。

他にも「報告の有無は別に友情の深さを測るものじゃない」「年齢が上がると変に気を遣われ、言われないこともある」「急に連絡したらかえって相手に迷惑だと思う」と、私一人では考えもつかなかった、結婚を報告する、あるいはしないことに対するそれぞれのスタンスを教えてもらった。

「仲が良かったはずなのに、どうして報告してもらえなかったのだろう」
私のこの寂しさ、悲しさは傲慢で身勝手なものだったと思い知らされた。

結婚がめでたいもの、という考え方だって場合によっては誰かを傷付けてしまうかもしれないのだ。

私とあなたは違う人間だから、違う考え方や感じ方をして当たり前。
頭では理解しているつもりだったのに、知らず知らずのうちに自分の考えの殻にすっかり閉じこもっていたのだ。
結婚が一世一代のハッピーでみんなにシェアしたい人もいれば、給付金の10万円を申請するくらいの生活のための手続きという人もいる。

みんなに話し、そのことに気付けた時、わだかまりはじんわり解けていた。
私とMちゃんの仲が良かった過去は変わらないし、私にとって今でも大切な人であるのはLINEの名字が変わったって変わらないのだ。