歳を取ることは素晴らしい、一緒に生きていくことは素晴らしい。
The Beach Boysが歌う『Wouldn’t It Be Nice』を聴くたびに強く共感を覚える。
「一緒に生きる」ということは、結婚なんて形を選ばなくても、例えば同棲でも愛し合っていれば当てはまるのではないか。
私達夫婦は、もうじき結婚1年目の記念日を迎える。
結婚して良かったか。
間違いがなかったか。
歳を重ね、より多くの経験を積んでいくことできっと考え方は変わるに違いない。しかし、今の私には他の答えは見つからない。
「同棲していた時と生活が大きく変わったわけではない。それでも今の方がずっと幸せで、毎日楽しい!」

結婚願望がない彼との毎日は幸せで お互いのお互いの最強の味方だった

夫は、元々結婚願望を持っていなかった。
それは付き合う前から言われていたこと。それでも私は、結婚するなら夫しか考えられなかったし、もし最後の最後まで彼の考えが変わらなければ、彼の子供だけでもいいから産みたいだなんて少し危険な思想まで抱いていた。

付き合っている間、彼に結婚願望がないなんて壁はまるで存在しないかのように交際は順調だった。
私がパワハラで仕事に行けなくなった時、彼は家においで、と言ってくれた。
彼の家に泊まり、朝起きるとテーブルの上に3000円が置いてあった。私はそのお金でスーパーへ買い物に行き、彼の夕飯を作って帰りを待った。
休日には映画を見に行き、ウィンドウショッピングをしたり、近所の公園で手作りの唐揚げを食べたりして過ごした。
どんな時でも、お互いがお互いの最強の味方だった。

付き合い始めて、5年が経った頃。
私は、毎朝満員電車に乗り、派遣で事務の仕事をしていた。
東京の満員電車は、身体が3分の2サイズに潰されるほど混み合っている。当然乗客はイライラし、周りで喧嘩が起きることや痴漢されることなんてザラにあった。
最初の頃は、なんとか我慢していた。
それでも、徐々に電車に乗れば動機がし、大量の汗をかき、呼吸は激しくなり、途中下車することが増えていった。
「途中まで来たんですけど、すみません。」
何度も、会社に電話でこの言葉を伝えた。自然と家に篭りがちになる中で、私の心の支えは彼と、もう一つあった。それは、沖縄に住む両親だった。

「沖縄に帰りたい」「いつ行こうか」二つ返事で決まった移住と結婚

「いつでも帰っておいで」
母は言う。
元気な時なら聞き逃していた言葉だが、今回ばかりはどうしても頭から離れなかった。東京での生活が、これ以上は無理だと感じていたからだ。彼の存在だけが、私が東京にいる理由だった。
何日も悩み、ついに彼に打ち明ける日がやってきた。
「沖縄に帰りたい。家族のそばにいたい」
最強の味方を失うかもしれないと思うと、怖かった。
しかし、彼は迷わず
「いつ行こうか。」
と答えた。
その日から私達は沖縄移住の準備を始め、去年2020年の2月13日に沖縄へ引っ越してきた。
その3日後の2月16日、私達は私の両親と共に市役所へ行き、結婚した。

お金は減ったけど毎日が幸せ 朝起きると隣にあなたがいる

夫は、沖縄移住するにあたって新卒から働いていた会社を辞めた。東京に本社がある会社で面接を受け、転職先を決めたが、夫の給料は東京にいた頃の半分ほどになった。
私もなかなか仕事に行くことができず、前のように好きにお金を使うことはできなくなった。
それでも。
私は、心療内科に通いながら少しずつ以前の元気を取り戻しつつある。病院へは、毎回夫と行く。今週末は、私の実家に2人で泊まりに行く。夫は、コロナの影響もあり仕事が在宅になり、毎日3食2人でご飯を食べられる。
「朝起きてマヤが隣にいると、面白いんだよな」
面白いとはどういうことだ、と返しつつも私もそうだな、と思う。

結婚の為に結婚するのではなく、この人とずっと一緒にいる為に自然なこととして結婚をした。
コロナで延期になっていた結婚式は、もうすぐだ。そこで『Wouldn’t It Be Nice』を流すのだ。