季節にそれがあるように、時間にも匂いがある。
夏の夜の、密やかでたっぷりとした匂い。
冬の朝の、体の隅々まで満たしたくなるほど清澄な匂い。
そのどれもが特別で、私の全ての記憶はその瞬間の匂いとともにある。
「夢は叶うと誰かに伝えてあげられる人でいたい」と強く思った
あの日のことだってそうだ。
桜はとうに散ったのに、春と呼ぶには肌寒い、4月の中頃の夜。
私は六本木のとあるダイナーにいた。
隣には、長年憧れていたアメリカのロックスター。
まだ高校生だった10年前に「いつかこの人と話がしたい」と英語の習得を決意し、仕事でもなんでもそれを指針に選んできた私はこの日ついに、コンサートの打ち上げに同席したのだ。
全く味わったことのない感情だった。
店内に流れる彼らのライブ映像は、私がいまだに、全てのギターアレンジを口で歌えるほど繰り返し観てきたものだ。
「この曲はね」と、名曲誕生の秘話を語る彼を横目に、私は手に負えない高揚感をろくに飲めもしないビールで流し込んだ。
お酒の力も手伝って、この日の私は本当によく喋った。
あなたの音楽にどれほど救われたか、そのおかげでどんなことを頑張れたか、人生にどんな変化をもたらしてくれたか…
これが最後でも後悔しないようにと、自分の心を丸ごとひっくり返して、注意深く"想い"を探した。
全てを伝えたあと、彼のくれた言葉の感触を私は一生忘れないと思う。
「Thank you for speaking so honestly.」
真っ直ぐな気持ちは、きちんと真っ直ぐ届くのだ。
夢は叶うなんて、想いは届くなんて綺麗事だと、そう言う人もいるけれど、少なくとも私は、夢は叶うと誰かに伝えてあげられる人でいたい、と強く、強く思ったのを覚えている。
一歩一歩踏みしめるように。寒さで凍えても、それすら嬉しかった
そんな、一生心に残るであろう夢の宴の帰り、私はこの感情をどうしたら永久的に保存できるのかと考えていた。
忘れるのも、慣れてしまうのも怖かったのだ。
このまますぐに帰るのは惜しく、かといってバーに行くような気分でもなく、六本木の道端を行くあてもなく歩いていた最中ふっと、春の終わりの真夜中の匂いがした。
硬質で、ささやかだけれど色があって、寂しげで、冷たくて、でも希望に満ちている。
これだ、と思った。
この匂いを、自分自身に刻むのだ、と。
品川の自宅まで徒歩2時間半。
この道のりを、空気を胸いっぱいに吸いながら、と同時に直前までの出来事を反芻しながら、一歩一歩踏みしめるように歩いた。
途中、寒さで凍える事もあったが、それすら嬉しかった。
より鮮明に刻むことができるから。
また訪れるはずの素敵な日には、思いっきり空気を吸って封をしよう
どのような道を通って辿り着いたのかという記憶はまるでないが、ただただ幸福で、満ち足りた気持ちで眠りについた朝方の記憶を今も抱いている。
あれからもうすぐで2年。
昨年にはパンデミックが発生し、再会はおろか、コンサートに行くことすら夢のまた夢となっている。日に日にあの日の感動は当たり前になり、今すぐに同じ感情を取り出すことはできない。
しかし、桜は今年も変わらず咲き、散りゆく。来年も、再来年もきっとそう。
そのことが、私をこの上なく安心させてくれる。
大切な思い出や感情は、匂いとともに保存することができるし、何年経っても色褪せることはない。何かが起こっても、その記憶が変わることはない。
だから私はこう決めている。
桜の終わったあと、少し肌寒い日の真夜中には必ず外に出て、深く呼吸をしよう。
そしてまた訪れるはずの素敵な日には、思いっきり空気を吸って、そのまま封をしよう。