苦手な食べ物は何か。
そう聞かれると、決まって「柿」と答える。柿を食べると安いシェーバーでヒゲを剃ったあとのおじさんのアゴをかじっているような気分になるからだ。
「親の脛をかじる」ということわざがあるが、きっと柿をかじった時に似た気分なんだろうと想察する。柿の黒い斑点が、おじさんのヒゲのようで、じょりじょりした食感も相まって、気恥ずかしいようななんとも言えない複雑な感情を運んでくる。
大人になって手にしたあんぽ柿。大好きな曽祖母が想起される感触に、心がときめいた
今年の正月に、あんぽ柿なるものをいただいた。
大人になってから柿関連のものを手にしたことすらなかったが、いただいた手前だ。
試しに掴んでみたらむにゅっとしており、揉み心地は非常に良かった。昔触った大好きさな曽祖母の皮膚を想起させる感触に、心がときめいた。
曽祖母の皮膚は戻りが悪かった。皮膚を摘み、手を離しても摘んでいるかのような形体を一定時間キープするのだ。興味深くて、何度も何度も摘んだ日々が懐かしい。今考えれば、長寿に由来するコラーゲン不足だったんだろう。その触り心地が気持ちよくて、大好きな曽祖母に添い寝をし、戦時や戦後の話を聞きながら、二の腕を触っていたことを思い出す。
優しくて強い曽祖母。感謝を絶やすことのな彼女は、オアシスのような存在だった
曽祖母は優しく強い人だった。
戦争を乗り越えたからなのか、生きる気力に満ち溢れ、104歳まで生きた。大腿骨骨折を2度経験するもいずれも回復し、再度歩けるようになるという、人類史上稀に見であろう偉業を成し遂げた。
また、貧しい人を食事に招くなど温かい心を持ち、晩年は「ありがとうね」と感謝の言葉が絶えない人だった。
当時、学校集団から浮いていた私にとって、彼女は砂漠のオアシスのようであり、生きていこうと決意したのも彼女の存在があってのことだった。
柿があんぽ柿になるように、深みのある柔らかな優しさを持つ人になりたい
赤子だった人が100年の月日をかけて、あの優しく大らかな人を作った。
また、柿があんぽ柿になるように熟成を重ね、心地よく深みのある弾力を会得したのである。あんぽ柿のような彼女に敬意を払い、私自身も深みのある柔らかな優しさを持ち、人に癒しを届ける人になりたいと思っている。
苦手なもの。
きっと誰しも1つはあるだろう。味覚や視覚で却下されても、他の五感を駆使するならば、心がときめきで溢れることもあるのだと思う。
少なくとも、私は苦手であったあんぽ柿の感触に心を奪われ、愛おしくさえ感じている。
今は、柿があんぽ柿へ変化するように柔らかくなり、周囲に柔らかさと優しさを漂わせるような人生を歩みたいと思っている。
そして、月日を経て柔らかくなった人生の先輩方の皮膚や肩を揉み、尊敬の意を表しながら生きることを切に願っている。