8年前の春、両親が離婚した。出て行ったのは当時50歳の母だった。公務員の父、19歳と16歳の私と妹がそのまま家に残ることになった。
母が出て行く前日の夜、私は大学の講義終了後にケーキを買って帰った。プレートに書いてもらったメッセージは「離婚おめでとう」。今でも、あの時そのメッセージ希望を聞いたケーキ屋さんの顔が忘れられない。
人は性について感情で語りすぎている気がしていた
小学生の時に、年の離れた姉の机からバイブレーターを、父のタンスからコンドームを見つけたことがある。何となくそれがセクシャルな物であることは分かっていた。
中学生でミスチルのエッチな歌にはまり、高校生の時に学校で飾る短冊に書いた願いは「杉本彩を生でみたい」。きっと私はどこか性を客観的に観察する癖があったからだろう。
そのせいなのかよく分からないが、何となく母と父を、彼らは親であるのと同時に、女と男でもあると強く認識していた。
そう言えば学校の保健の授業で、性行為ゆえに妊娠が可能になることを学んだ後、じゃあ私たちの両親も…きもーい!!!!なんて、友人たちは顔をしかめつつも盛り上がっていた記憶がある。
私はそのリアクションがよく分からなかった。確かにどちらかが身体に入ったり出たりするということは、人間の誕生という神秘性に相反して、実に単調で美しさを感じ難い。でも一人でに妊娠するなんて恐ろしいではないか。性行為で妊娠が可能になるということは、女性だけではなく男性も連帯保証人として人間の誕生に責任を持つということだ。なので、きもーい!!!言うよりは、安心ー!!!の方がしっくりくるのではないか。人が何でも性を感情で語りすぎている気がしたのはこの頃からだった。
いくつになっても、女だってやり直せると教えてくれた母が誇らしい
熟年離婚をすると言うことは、時期を逸した女の孤独な生活の始まりとも捉えられるだろう。
昔、いくらか色っぽい夜を共に過ごした男に「男性は石だけど、女性は花。男性がたいして見た目の変化なく年を重ねるのに対して、女性は枯れていく生き物。28歳くらいが1番美しい」なんて勘違いも甚だしい戯言を言われたことがある(あー最悪。今思い出しても、その一言で彼と過ごした全時間が無価値になる)。
私はそれを全力で否定してくれた母が誇らしい。だからお祝いのメッセージにしたのだ。
いくつになっても、女だってやり直せるのよって、彼女は文字通り身をもって教えてくれたのだ。こんなかっこいい母親はそうそういない。
あの渋谷のケーキ屋さん、あんなメッセージをお願いしたのは、もしかしたら私が初めてだったかもしれない。でも、女性へスポットライトが当たればあたるほど、離婚は誕生日と同じように祝い事になるはずである。
だから、どうか年齢に縛られない生き方を選んだ女性がいるんだと、依頼を受けるたびに笑顔で承っていただけたら幸いだ。