「働くことは生きることだ」
昨年見ていたテレビドラマで、ある女性はそう言っていた。
そのドラマでは仕事を通して成長する会社員が描かれていた。
この言葉にはきっと色々な意味が含まれていると私は思う。

子供の頃、漠然と“大人“になったら働かなければいけないのだと思っていた。
私も大学卒業とともに社会人となって働き始め、大人への仲間入りを果たした。
自分で稼いだお金を好きなように使い、学生の頃は絶対食べなかった1000円のランチを食べるのは、思い描いていた大人に近かったし、漫画を1巻からまとめて買う、いわゆる大人買いだって楽しんだ。
私が働く理由はそうした”大人”を楽しむためにお金がほしかったからだった。

一人暮らしを始めてみて自分がいかに”子供”であったか気づく

社会人になって3年目、ある程度お金が貯まった私は実家を出て一人暮らしを始めた。
そして実家でぬくぬくと過ごしていた自分がいかに”子供”であったか気づくこととなる。
まず、生きるのも死ぬのも、寝るのも起きるのも、自分次第なのだ。
親から、あれしろ、これしろ、と言われない代わりに、全て自分でやらなければならない。
仕事で疲れて帰ってきても、もちろんご飯なんて出てこないし、温かいお風呂もない。
家賃と光熱費と食費と、交際費まで含むと月の給料はほとんどなくなるし、今までのように貯金するためには何かを切り詰めなければならなかった。
当然だと言われるだろうし甘えていたと自分でも思うけれど、自分でどうやって生きていくか決めて、毎日生活をしていく、これが自立であり大人になる、ということなのかと思い知ったのだ。

そこでふと思うのだ。
私は仕事に対して「やらされている」と感じているのではないだろうか。
別に私は冒頭のドラマの登場人物のように、仕事を通じて成長したいなどと思ったことはないし、学生生活が終わったら漠然と働かなければならないのだと思っていたから就職しただけだ。

”大人”になるためには働かなければならないと思っていた

働くことに疑問を感じたことはあっただろうか?
恥ずかしながら、私は自分で仕事したい、働きたい、と思って働いたわけでなく、周りに流されて仕事に就き、いやいやながらも毎朝頑張って起きて職場に赴き、上司からやれと言われたことを淡々とこなしていた。
きっと子供の頃から”大人”になるためには働かなければならないと思っていたことについて、働かなければ”大人”になれない、とも思っていたのだろう。
“大人”になるために働いたつもりが、実際のところはずっと”子供”のままだったのだ。
本当の大人はきっと、目的や意味を持って自分の意志で働いている。

それは例えば、会社のためかもしれないし、家族のためかもしれない、あるいは自分の趣味のためかもしれないが、目的や意味を持つことによって「やらされている仕事」ではなく「自ら進んでやる仕事」にきっと意味が変わるのだ。

私は好きなことを楽しむためにお金が欲しいから働いている、それは今も変わらない。
けれど好きなことを楽しむためにお金が欲しいから、目の前の仕事にしっかり向き合い、一生懸命働こうと思う。
生きるために働こう、働くことは生きることだ、そう決めるだけで一歩大人になれたような気がするのだ。