2020年の10月、1年と少し付き合った彼と結婚をした。

彼と出会ったのは数年前の夏フェス。
共通の趣味で知り合い、意気投合。
手を繋ぎ、キスをし、結婚をした。

たくさんの人から寄せられた「何か変わった?」に、頭を悩ませた

思えば彼とお付き合いを始めてから結婚に至るまで、すべてが自然だったような気がする。
付き合って数日で同棲したいねと話し、その2~3か月後には一緒に暮らしていた。
周りからはまだ早いと言われたけれど、なぜだか一緒に居ることが自然に思えて、迷うことはなかった。
同棲をして1年、彼からのプロポーズには何のためらいもなく頷き、次の日にはゼクシィを買いに行ったものだ。

私たちはいわゆるコロナ禍での結婚だったので、友人にはほとんど会えず、結婚報告はLINEやSNSがほとんど。
こんなにもたくさんの人と連絡をとったのは久しぶりで、なんだかワクワクした。

そんな友人からのメッセージで「おめでとう」の次に多かったのが、「結婚して何か変わった?」というもの。
その場では「何も変わらないよ」と返したものの、たくさんの人から寄せられたその一言に私はしばらく頭を悩ませることとなった。

1年も一緒に暮らしていれば、初々しさはまったくと言っていいほどない。
新婚ではあるものの生活は変わっておらず、新婚さんいらっしゃいのような熱々な空気をまとっているわけではないのだ。

私が彼の名字になることを選んだ。一緒になった名字を口にすると…

じゃあ、何が変わったのか。
名字や本籍は変わったが、友人たちが聞きたいのはきっとそういうことではないのだろう。

答えを探しながら生活していたある日のこと。
私がリモート会議で自己紹介をしていると、同じく在宅で仕事をしている彼がニヤニヤこちらを見ていることに気が付いた。
後にその理由を聞くと、「○○(新しい名字)ですって挨拶してたね」と彼は嬉しそうに言った。
婚姻届を提出する際、私が彼の名字になることを選んだ。
そうして一緒になった名字を口にする機会がほとんどなかったのか、新鮮で嬉しかったようだ。なんだか私も心の奥の方がじんわりと熱くなるのを感じた。

その後も彼は、私が新しい名字を口にするたびに嬉しそうな顔をした。
名字に触れる機会がなくとも、「結婚したんだね、2人とも○○になったんだよね」といったことを言いながら嬉しそうに結婚指輪を触っていることもあった。

そうして生活する中で、私は質問の答えに辿り着いた気がする。
結婚して変わったのは、「彼の幸せな顔を見る機会が増えたこと」なのだと。

未来の話をして見せる嬉しそうな顔。「この人と結婚してよかったな」

これからも彼とずっと一緒に暮らしていくのだと思うと、ワクワクする。
それは彼も同じ気持ちのようで、未来の話をするとすごく嬉しそうな顔をするのだ。
そうした顔を見ていると、「この人と結婚してよかったな」と心から思える。
彼とおそろいの名字も、指輪も、すべてが愛おしい。
そしてそれらを愛おしそうにする彼の姿が、最も愛おしい。

昔は結婚をする人の割合がとても多かったのだろうけれど、今はそれが少しずつ減って、結婚はあらゆる選択肢の中の1つという捉え方がされてきている。
私はその数ある選択肢の中から「結婚」という選択をしたのだ。
1人で生きていくこともできたし、事実婚でも良かった。
それでも彼と結婚をしたのは、それが2人にとって自然な選択だと思えたから。
その選択を通して彼の幸せな顔をより多く見ることが出来るのであれば、私にとっては最善の選択だったのだと感じる。

結婚することが人生の全てではない。
けれど、結婚って、いいものだ。
そう思えたのは彼のおかげ。
今日も私は彼とおそろいの名字で、生きていく。