「本当に可愛い。付き合ってほしい」
そう言って、彼は私の左の手の甲に、キスをした。まだ蒸し暑い9月の金曜夜、飲み屋街のある駅の前で。
「いやいや、ええええ……」
慌てて手をひっこめ、周りを確認し、彼を見ると微笑んでいる。おそるべき男だ。駅前で、私はキスなんてできない。手の甲だとしても。

「俺のこと好きになるまで待つから」そう言って彼は、私を強く抱きしめた

小学校時代はアメリカで過ごしたという同い年の彼は、自信家で、気さくで、仕事がとても速い。どういうわけか、昨年4月に異動してきた私に興味を持ったようで、席が遠いのに、やたらと私の席の周りにきては話しかけてきた。
最初は鬱陶しかったが、仕事で困っていると親切に教えてくれるので、とても助かった。「飲みにいこう」という誘いも、4月~7月頃は即答で断っていたが、少しずつ「サシ飲みしたら楽しそう」という気持ちになり、「今日飲まない?」と聞かれたので、「いいよ」と返事をした。
そして帰り道、突然、告白された。
「え、ちょっと待ってよ」
「待つよ。俺のこと好きになるまで待つから」
そう言って彼は、私を強く抱きしめた。

「と、とりあえず帰らせて!!!」と逃げるように改札の中へ逃げ、電車に飛び乗った。
少女漫画のようだった……。ドキドキが止まらない。手の甲にキスなんて、生まれて初めてされた。小学生の時に、アメリカで覚えたのか……?
けれども、胸がドキドキするからと言って、簡単に「じゃあ付き合おう」とは言えなかった。
私も彼も、27歳。Facebookを開けば、友達の結婚報告がタイムラインに並ぶ年頃だ。付き合うなら、結婚を前提にしたお付き合いがしたい、と思う。
結婚するなら、離婚はしたくない。おじいちゃんおばあちゃんになっても、私と彼は、うまくやっていけるのだろうか。
帰宅して、お風呂の中で、そっと左の手の甲をさすった。彼のことをもっと知りたいし、私のこともたくさん知ってほしくなった。
お風呂から出た後、彼に電話をした。
「この歳になると結婚とか考えちゃって……。付き合う前に、あなたのことをよく知りたい。だから、告白は保留でもいい?ちゃんと考えるから」
「それを言うために電話してくれたの?真面目だね。そういうところも好きだよ」
彼はさらっと好意を伝えてくる。私は慌てながら、「うるさい!」と言ってしまった。彼は電話の向こうで笑っていた。

「3か月も、俺のこと待たせすぎ。もう冷めちゃった。」

それから、私と彼は、時間を合わせて出勤、退勤するようになった。
周りの目を気にして、最初は嫌がっていた私だったが、彼は「悪いことしてるわけじゃないんだから良くない?」と非常に堂々としていた。
肝の据わった男だ。そんな彼の横を歩くのが気持ちよかったし、何より、彼との出退勤の時間が毎日楽しみで、ドキドキしていた。
それでも、私は告白をOKするべきか悩んでいた。
彼は記憶をなくすほど酒を飲むのが大好きだ。競馬もボートレースも大好きだ。女性経験も豊富で、今まで付き合ったことのある人数は11人だそうだ。
結婚したら、彼は家に帰ってくるのだろうか?ギャンブルで負けて、借金しないだろうか?
浮気とか……しないかな?

もし、私が高校生だったら、こんなに顔が整っていて、少女漫画に出てきそうな男の人、すぐにOKする。
でも、結婚前提となると、気持ちだけでは動けない。
私が困った顔をしていると、「どうした?俺が惚れた女だろ?自信持って」と言って微笑んでくる彼。
ようやく決心がついて、「好き」と言えたのは、告白されて3か月後の、12月のことだった。
彼は「うーん……」と言った。そして、「ごめん」と。
なぜ謝られているのか分からなかった。彼は続けた。
「最初は好きだと思ったけど。俺、即断即決タイプじゃん?そっち、優柔不断じゃん。3か月も、俺のこと待たせすぎ。もう冷めちゃった。」

次恋愛するときは、自分の気持ちに素直になりたい

酒好きでもギャンブル好きでも、浮気しそうでも、全てを受け入れてお付き合いしたいと思った。
そして、あんなに好きだと言ってくれた彼だから、私からの告白に喜んでくれると思った。
あっけなく振られた。私が言葉に詰まり、何も言えないでいると、彼は言った。
「タイミングが悪いよね~。もっと早く言ってくれれば良かったのに」

私が振られてから1か月が過ぎた。
即断即決の彼の時の流れは早く、私を好きだったなんて嘘のように、職場ですれ違っても目も合わせない。
「うそつき」と心の中で彼を睨み、涙が出そうになるのを堪えながら日々を過ごしている。

私は、『結婚を前提に』という考えに縛られすぎた。
すぐ結婚するわけではないのだから、付き合ってみて、無理だと思えば、別れれば良い。
彼から毎日「おはよ。今日は何時に駅待ち合わせ?」「おやすみ。明日も一緒に出勤しようね」とLINEが来て嬉しかった。その気持ちに、素直になれば良かったのだ。
今はそんな気分ではないけれど。次恋愛するときは、自分の気持ちに素直になりたい。
恋も結婚も、年齢制限はないのだから……。