わたしは小学4年生から救急車のサイレンの音を耳にすると、心の中で、“助かりますように”と祈っている。
試験勉強で焦っているときも、陸上部の練習で必死に走っているときも、サイレンの音を耳にすれば必ず祈っていた。顔も名前もわからないけれど、患者さんが助かってほしい。その患者さんを助けようとしている人たちの努力が報われてほしい。そんな思いで必死に祈っていた。

キュリー夫人みたいになりたい。母に勧められた伝記と話からキュリー夫人を知った

わたしがこのような行動をとるようになったのは、母に勧められて数々の偉人たちの伝記を読んだのがきっかけだと思う。アンネ・フランクやヘレン・ケラー、野口英世など、たくさんの偉人たちについて知った。なかでも印象に残っているのが、ノーベル賞を2度受賞したマリー・キュリーである。
でも実は、彼女の偉業が印象に残っているのではなく、キュリー夫人について母が話していた光景が印象に残っているのだ。

小学3年生の頃、次はだれの本を読もうかと迷っていると、母がキュリー夫人を勧めてくれた。ベランダで洗濯物を干していた母が部屋にいるわたしに向かって、「キュリー夫人は人のために一生懸命頑張ってきた人」だと教えてくれた。母の後ろには太陽があったから、明るくて、きらきらしていてきれいだった。
わたしも、キュリー夫人みたいになりたい。人のために何かする人になりたい。太陽のきらきらを感じながら、子どもながらにそう思ったのを覚えている。

それからずっと、キュリー夫人みたいになりたいと思っていた。
サイレンの音が聞こえて祈ることを始めた時、今は祈ることしかできないけれど、”いつかわたしも助けます”と、心の中で言っていた。
でも、あれから10数年経った今、わたしはそういう職業に就いていない。

人を助ける仕事に就いていない私は、キュリー夫人のようにはなれないのだろうか

だから、ほんの少し苦しい。あんなにキュリー夫人みたいに、誰かを助ける人になりたいと思っていたのに。もう、キュリー夫人のようにはなれないのだろうか。せっかくの機会なので、改めてキュリー夫人みたいになることについて考えてみた。

そして、キュリー夫人みたいになることは、今より少しでも幸せな状況を作ろうとすることだという結論を出した。
例えば、人の良いところを見つけて褒めたり、重い荷物を持ってあげたり、電車の席を譲ったり、どうしても言いたくなる悪口をグッとこらえたり。誰かが辛い思いをするのを避けて、喜ぶことをする。その繰り返しが、キュリー夫人みたいに生きることだと考えた。

幸せになる使命と、幸せにする義務。私はきっとキュリー夫人のようになれるのだ

「すべての人には幸せになる使命があります。だから、すべての人を幸せにする義務があります」これはキュリー夫人の言葉だ。

生きていると、不平等を実感したり、立て続けに嫌なことが起こったり、びっくりするほどの理不尽に直面したりする。情けなくてボロボロ泣く夜も、嫌なことを忘れられず心が重い朝も、これから幾度と無く経験するだろう。
現実は、天国ではないから。そんな現実に負けないように幸せになることが使命で、人を幸せにすることが義務なのだ。

自分の歴史を、美しく、誇らしく、大切にする。
小学4年生から始めたわたしの習慣は、キュリー夫人になる第一歩だったと思う。彼女のような人間に私はなりたいし、きっとなれるのだ。