私の両親は世間でいうところの「理想の夫婦」。

おしゃべりでいつも笑っている母と真面目で働き者の父。母は父がいないところでいかに父が素晴らしい人なのか語り、父は母がいないところでいかに母が素敵な人なのかを私に語る。
「本人に直接言いなよ。」と私は何度も二人に言うけれど、どっちも笑って誤魔化す。面と向かって言うのは恥ずかしいらしい。未だに、お互いを名前で呼び合うおしどり夫婦だ。
そんな二人をみて育った私は結婚についてなんの疑いもなく「いいもの」だと思っていたし、結婚はするもの、すれば幸せになれるものだと信じていた。

でも、大学生になって大人に近づくたび、現実を知る。私の考える結婚は単なる「理想」に過ぎないということを。
TVでは芸能人の不倫のニュース。SNSに溢れるのは妻から夫に対する不満、義家族との関係、家事や育児疲れの呟き。アルバイト先にいる主婦の口癖は「旦那なんかと結婚するんじゃなかった。そうしたら人生変わっていたのに。」結婚ってそんなにいいものじゃないのかも。じゃあ、結婚をする意味って何だろう?幸せになるため?子どもを育てるため? もやもやした気持ちが心に残る。

将来を考えれば考えるほど「結婚」の文字の存在が気になる

結婚に関してまだまだ先のことだと答えを出すのを先送りにしていたら、大学3年生になり、就活がはじまった。就活を通じて将来を鮮明にスケッチしようとすればするほど「結婚」という文字が大きく現実味を帯びて、そこに存在することに気が付いてしまった。
給料のいいところに就職して、自分でお金を稼ぎたい。稼いだお金で何カ国も海外旅行に行きたい。いつか3年くらい海外に住んでみるのも私の夢だ。キャリアを重ねて、大きな仕事ができるカッコいい女性になりたい。そのためにはどんな企業に就職しようか?なんて、なんとなくしか想像してこなかったふわふわした未来を、2年後に自分が歩む現実にしなければならない。
大きな不安と少しの期待に胸がぐちゃぐちゃになる。

そんな時聞こえてきたのは人生の先輩たちの声。
「女の子だから、就職なんてそんなに悩まなくても大丈夫よ。どうせ結婚するのだから。」「いい会社に入っていい旦那さんを見つけないとね。そうじゃないと苦労するわよ。」「やっぱり、子どものことを考えると休みがちゃんととれる公務員ね。」
おすすめされる企業は女性の産休・育休など福利厚生がしっかりしている企業だし、企業側もそれを「魅力」としてPRしている。なんで自分のやりたいことを中心に職業を選ぶのではなく、顔も知らない将来の夫や子どものために職業を選ばないとならないのだろうか。

自分の人生なのに自分が消えていく

けれど、心のどこかで納得してしまう私もいる。残念なことに結婚も出産も年齢という制約がある。自分のやりたいことを自分の満足いくまでやり、終わったあとに後から「やっぱりほしい」といって手に入れることはできない。
もし結婚をして出産をする道を選べば、妊娠・出産・扶養の関係、自分で働けない時間、自分がやりたいことをやれない時間はでてくるのだ。そう考えると「福利厚生のしっかりした企業」や「いい夫」は「いい生活」に繋がるのだと分かる。分かってはいるけれど…。
私が本当にやりたいことってなんだっけ?自分の人生なのに自分がどんどん消えていくような気がした

 就活と結婚。まだまだ迷いながら今日も就職活動。私の不安そうな顔をみて母は笑う。「大丈夫よ。なんとかなるわ。」隣で父が頷く。
根拠もないその言葉、だけどこの2人が言うならそんな気がしてきた。大丈夫、私はこの2人の娘。どこに就職しようが結婚しようがしなかろうがそれは変わらない。こうなったらとことん悩んでやると思った。どうせ、進める道は1つだけなのだから。